ころまろ☆辛口エンタメ塾

毒舌ネットコメンテーターのサブカル話。たまに愛。

【昭和63年カルチャー4】 オーサーとジャンセン「金メダルに届かなかった本命」

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※ここは常に30年前の話をするカテゴリイです

 

実質的な昭和ラストイヤー1988年を語っていきます。

 

 

2大会連続銀メダルだったオーサーコーチ

 

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ブライアン・オーサー氏といえば「羽生結弦のプーさん似のコーチ」という方がほとんどでしょうが、僕にとってはこの姿の方がオリジンなのであります。「痩せてる!」と驚くなかれ、僕からすれば今の姿の方が「太っている!」のであります。

 

オーサー選手はサラエボ五輪と地元カナダのカルガリー五輪にて、両方ともに優勝候補だったのですが、それぞれの大会でアメリカの選手の「一発」に泣き、結果、自身が選手として参加した五輪は2つの銀メダルとなってしまったのでした。

 


ブライアン・オーサー/1988 カルガリー五輪 エキシビション

 

そんなオーサー氏が五輪のひのき舞台に戻ってきたのは、2010年のバンクーバー五輪の時になります。オーサー氏は選手ではなくキムヨナ選手のコーチとして五輪のリンクに戻ってきたのでありました。結果は見事優勝。選手ではなしえなかった五輪の金メダルをコーチとして実現させます。

 

その後はキムヨナ陣営とゴタゴタがあり契約解消。その後は羽生選手のコーチとなり・・・あとは説明不要ですね。選手では2大会連続銀メダルでしたが、コーチとしては2大会連続金メダルを獲得したわけです。

今大会、羽生君の調子は長い事ベールに包まれておりますが・・・オーサー氏の大丈夫だという言葉を信じて、男子シングルの当日を待ちたいなと思っております。ゆずたんがんばれ!

 

姉の死…悲劇の世界記録保持者

黒岩選手が銅メダルを獲得したスピードスケートの短距離種目で、絶対的な優勝候補と言われていたのがアメリカのダン・ジャンセン選手でした。しかしながら白血病で闘病していた彼の姉が前日に亡くなるという悲劇見舞われ、レース当日にその事を知った彼は出場した500mも1000mも転倒するという…結果なしに終わったのでした。

思えば彼が普通に滑っていれば黒岩選手のメダルもなかったわけですが、なんというかそれもこれも結果なのですね。結果を受け入れる気持ちというのは大事なんだなと改めて思います。

 

その後のジャンセン選手

それでその後、ジャンセン選手は8回も世界記録を塗り替えるのですが、しかしながら、肝心かなめの五輪の本番では全く活躍できないというジンクスが生まれます。3大会表彰台なし。


【1994年リレハンメルオリンピック】スピードスケート ダン・ジャンセン

 

そして年齢的に最後の五輪となった1994リレハンメル五輪。そこで彼にとって最期のオリンピック種目となった1000mにて、彼は奇跡の世界新記録を達成し、悲願の五輪金メダルを獲得するわけです(感覚的には今回の五輪に上村愛子選手が出場して金メダルを取るようなもの)。この姿には本当に感動しましたね。うん。

 

なんて言っていたらとっくに平昌五輪が開幕してしまいました。
カルガリー五輪の思い出話は、僕の心の中に、先日改定された広辞苑よりも分厚く残っておりますが、まあこの辺にしておきます。カルガリー五輪よ永遠なれ。

 

 

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