ころまろ☆辛口エンタメ塾

毒舌ネットコメンテーターのサブカル話。たまに愛。

「昭和63年の今頃の話7」バブル芸能人2 田村正和、ゴクミ、とんねるず…

スポンサーリンク

※ここは常に30年前の話をするカテゴリイです

 

実質的な昭和ラストイヤーである1988年の今頃を語っていきます。

 

f:id:koromaro:20200411225358j:plain

 

昨日、田村正和版の「眠狂四郎」の最終回がオンエアされたみたいですね。もう74歳なのか・・・体調のほうはいかがなものなのか気になるところです。

 

 

 

田村正和

僕は40代の田村正和さんがかなり好きだったんですよ。たたずまいもそうだし他人の前では決して食事をしない」ということに代表される「独特のナルシシズム」も凄いなと思っておりました。


パパはニュースキャスターop

それで1988年の今頃の田村さんは、完全にコメディー路線に舵をとっておりまして、それが大当たりしていました。「パパはニュースキャスター」とか「家の子に限って…」とか・・・要『小さな子供たちに翻弄される二枚目半おじさん』という役柄ですね。当時は他にも似たようなものがいっぱいあって、彼はそつなく演じていたように思います。

でも僕は「夏に恋する女たち」の『倉田』ような、完全二枚目路線の方が好きだったんですね(多分本人もそうだったでしょう)。だからこの時期は「そろそろ本格的二枚目を演じる田村正和を久々に見たいなあ」と思っていたりしたのです。つづく。

 

 

後藤久美子

改めてプロフィールを見ますと…

 

1987年デビュー。

小5のときからモデルを始め『テレビの国のアリス』で女優デビュー。1987年歌手デビュー。

『国民的美少女』をキャッチフレーズに美少女ブームを巻き起こした。物怖じしない言動も話題を呼び、愛称の『ゴクミ』は流行語大賞の銅賞に選ばれた。活動は女優業が中心で、数多くの映画でドラマでヒロイン役を演じた。

1995年にF1ドライバーのジャン・アレジとの熱愛が発覚。渡仏し事実婚状態となる。その後3人の子供を出産。現在はスイスの大豪邸で「家事なし」の悠々自適の暮らしをしている。

 

なるほど。

 

村上春樹氏の1988年のベストセラー「ダンスダンスダンス」。その原稿が完成した際に、最初に読んだ奥さんが、作中に登場する生意気な美少女ユキについて、
「多分あなたは知らないだろうけど、きっと『ユキのモデルは後藤久美子でしょう』と、多くの人に言われると思うわよ」

と言ったそうです。それに対して村上春樹氏は

「そんなものかなぁとその時は思ったけど、これが本当にそうだった。物の見事にその通りだった。あまりにもそう言われるので、いつだか写真を見てみたけど、正直あまりピンとはこなかった」

と答えているんですね。まあそれぐらい当時は一般的に「後藤久美子=国民的美少女」と言うイメージが強かったのです。


映画 ラブ・ストーリーを君に (1988年) 予告編

それで彼女は当時、

「将来はお金持ちの外国人と結婚して向こうに住んでハーフの子どもを生み、カッコいい車を乗り回したい。」

と発言していたのですが、これが本当にまさにその通りになっていて凄いなと思います。僕は彼女のファンでもないし、正直彼女を「国民的美少女」とも思ったこともないのですが、そのライフスタイルの貫きっぷりは見事というより他はないですね。

 

 

とんねるず

彼らが素人時代に「お笑いスター誕生」で「凧揚げをするアントニオ猪木のものまね」をしていたころ(1980年)から知っていたのですが、なかなか売れなかったですね。僕はアントニオ猪木選手の大ファンでしたので、ずっと彼らのことを好意的に見ていたのです。

そんな彼らにシングルレコードの『一気』の企画が持ち上がった際に、石橋貴明さんはプロデューサーの秋元康氏に対して「こんなもん絶対売れるわけがない」と断言したそうです。それに対して秋元氏が「じゃぁロレックスをかけよう。売れたら俺の勝ち。売れなかったら貴明の勝ち」と、賭けの誘いをしてきて、石橋さんはそれに乗ったそうです。「あん時の稼ぎでロレックスは痛かったなぁ」と、その後うれしそうにぼやいていた石橋さんでしたが、80年代後半の時代の波というものに、とんねるずがガッツリ乗っていた状況というのは、本当に凄いなぁと感心してました。もともと、ものまねがオリジンなだけに、マイケル始めとした彼らのパロディねたは本当に面白かったですし、流石はバブルという感じで、もの凄くお金もかかってそうでしたね。


とんねるずMJ 『MOONWALKER』

そしてこの時代の成功体験というもの。それに対し、とんねるずの二人はかなり前から醒めている感じだったのに、TV業界は・・・と言うかフジテレビは、いまだにそれを忘れられていないという感じがします。うん。

 

西田ひかる

1988年デビュー。

父親の仕事の関係で生後10か月から13歳まで米国で暮らす。 1988年日本エアシステムのキャンペーンガールに起用されて芸能界入り。同年歌手デビューも果たす。

明るい帰国子女というキャラクターがバブル時代とマッチし、1980年代終盤から1990年代序盤にかけては、宮沢りえらとともに絶大な人気を誇った。

また1991年の『24時間テレビ 愛は地球を救う』において、第14代チャリティパーソナリティを務めたことから、慈善事業にも積極的に取り組むようになった。

2002年に貿易会社副社長と結婚。二男の母。

 

なるほど。

 

当時は「ルパン三世」や「愛してナイト」の再放送枠のスポンサーがハウスでして、それ故に彼女の「フルーチェ」のCMを毎日見せられておりました。それでそのCMは、いまとなってはオンエア不可というか・・・ムチムチ水着の生着替え的な内容でして、確実にフェミニスト団体から火あぶりにされるような代物だったのです。


ハウス食品 フルーチェ CM 西田ひかる 1989年

こっちも血気盛んな時期でしたので、なかなか目の毒というか・・・保養でしたね(笑)。ハイレグ&ボディコンのみならず、このバブル期は女性の肉体露出が激しい時代だったと思います。いまはもうF1のグリッドガールが廃止になる時代ですからね。うーん「バブルよもう一度」ってね(笑)。

 

www.koromaro.com

www.koromaro.com

 

TOP

スポンサーリンク