ころまろ☆辛口エンタメ塾

毒舌ネットコメンテーターのサブカル話。たまに愛。

【昭和63年の今頃の話19】サザン&尾崎復活、美里、ラ・ムー【梅雨時の邦楽】

スポンサーリンク

※ここは常に30年前の話をするカテゴリイです

 

実質的な昭和ラストイヤーである1988年の今頃を語っていきます。

 

 

1988年の今頃の僕は、夏休みの夏期講習に向けて上京の準備していました。そして美術手帳の広告欄を見ながら「どこがいいいのかわからないけれど、まあ一番の大手で一番を取れば芸大に入れるだろう」という実に解りやすい理由で、行き先を「代々木ゼミナール造形学校」に決めました。行かせてくれた親には今、改めて感謝ですね・・・

 

そんなわけで(?)その頃に流行っていた邦楽をどうぞ。

 

 

 

『みんなのうた』サザンオールスターズ

原由子さんの産休で活動休止していたサザンの三年ぶりの復活シングルです。当時は空き巣泥棒のように「TUBE」が売れたりしていましたが、やはり本家本元は違うなと改めて思いました。

しかしながら、この時期は桑田佳祐さんのソロプロジェクトが一番盛んな時期でもあったのです。このサザン名義の「みんなのうた」の発売直後に、桑田佳祐名義のファーストソロアルバムを発表したりと。だからなんだかその復活のタイミングに疑問符というか『これはひょっとして産休以外に何かバンドにトラブルがあるんじゃないか?』とも漠然と感じていました。

実際にオリジナルアルバムが発売されたのは、ここからさらに一年半後でしたからね。ですので「KAMAKURA」の次が「Southern All Stars」なんだということに、改めて驚いたりもしています。その間5年ですからね。うん。

 

で、曲に戻りますが、これを聴くと、やはりあの夏の予備校を思い出しますね。

 

♪いつの日か この場所で会えるなら やりなおそう♪

この場所…それは僕にとって間違いなく「南新宿の代々木ゼミナール造形学校」なのですが、実は今は移転して、その場には存在しないのです。だからやり直しようがないという…

その事実は少し寂しくはありますが、まあ今さら予備校でやり直すというのもアレですからね。

 

『恋したっていいじゃない』渡辺美里

「ガールズポップも歌う女性ロックシンガー」だった渡辺美里さんが『ロックも歌う女性ポップシンガー』に転向したのもこの頃でした。


【CM 1988】UCC CAN COFFEE 30秒×4

尾崎豊さんがそうでしたが「10代の代弁者的なメッセージソングの歌い手」は、自身が10代じゃなくなると急速に息詰まっていくという事なんでしょうね。それで渡辺さんも「お姉さん目線のボーイズ&ガールズポップス」に舵を振ったのだと思います。

 

もともと渡辺さんのガールズポップは嫌いじゃなかったのですが(「悲しいボーイフレンド」とか)、この頃から歌詞があからさまにミドルティーン向けになっていったという感じがして、あんまり聴かなくなっていきました。これは渡辺さんがどうこうというより、僕自身がミドルティーンから離れていって、もう感覚が合わなくなっていたんでしょうね。

そう言えばこの曲で夜ヒットに渡辺さんが出演した際、泉谷しげるさんとセッションを行うのですが、司会の古館さんに「お!泉谷が突然の乱入だ!」と振られた泉谷さんが「何が突然だよ…綿密に打ち合わせしたじゃねえか…」とぼやいたのは面白かったです(笑)。まあ当時の夜ヒットのプロデューサーは完璧主義で有名でしたしね。

 

 

『太陽の破片』尾崎豊

 

 

という訳で、本当に行き詰っていた人です。当時この曲は「サンチェーン」内でヘビロテされておりました。それで最初に聞いた時に

 

♪夕べ眠れずに

 

という歌い出しが、まんま「もうひとつの土曜日」でしたので、「ただでさえハマショーのパクリと言われているのに大丈夫なのか?」と思ってしまいました。尾崎豊さんはこのあたりから「都会の孤独感」というようなものがモチーフになっていきましたね。しかしながら、さすがにもはやちょっと付き合いきれない感も正直ありました。

そしてこのPV。『妙なPV大賞』にノミネートさせようかと思ったほどのものなのですが、児ポ法的にちょっとという(苦笑)。自己責任でお願いします(笑)。

 

www.nicovideo.jp

 

 

 

「TOKYO野蛮人」ラ・ムー 

「アイドルである自分に疑問を感じていた」という嘘八百な動機から、ロックシンガーに転向した菊池桃子 彼女が率いていたバンド「ラ・ムー」。当時はロックバンドブームが沸騰していた時期でしたから、事務所が渾身のイメチェンを狙ったのでしょう。


 

しかしながらこのバンド。ロックというよりは、悪い意味でのR&B色が強いサウンドでして、この時期にシングルのリリースを乱発するも、案の定、全く売れず、一年も持たず活動を休止するのでした 。それで菊池桃子さんは何食わぬ顔でアイドル路線に戻ったという「誰得」ぶり 。全くもって意味不明というか・・・

 

そういえば、の年の年末に東中野で列車衝突事故があり、その際に「どうやらラ・ムーのメンバーが巻き込まれたらしい」という噂が流れたのです。それは結局都市伝説だったのですが・・・まあこのバンドそのものが都市伝説みたいなものだよなあと。はい。

 

 

www.koromaro.com

www.koromaro.com

 

TOP

スポンサーリンク