ころまろ☆辛口エンタメ塾

毒舌ネットコメンテーターのサブカル話。たまに愛。

【昭和63年の今頃の話22】バブルの就職事情【トータル3時間で大手に就職】

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※ここは常に30年前の話をするカテゴリイです

 

実質的な昭和ラストイヤーである1988年の今頃を語っていきます。

 

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東中野の従兄兄弟の家に居候

30年前の夏。僕は美術予備校の夏期講習に参加するために上京し、45日というそれなりの期間、東京に滞在しました。

お世話になったのは、東中野に住んでいたイトコの大学生兄弟でありました。医大の6年生と某私大の4年生という優秀な2人であり、さらには超オタクと超体育会系という、あまりにも対照的な2人でもありました。僕はそんな2人に大きな影響を受けつつ、憧れの東京暮らしをスタートしたのです。

 

1988年の就職活動

居候先の某私大の弟兄さん(以後『下兄さん』)はちょうど就職活動の時期でありました。そんな中で上京し、マンションを訪ねた僕が最初に目にしたのは…玄関先にダンボールで積み上げられた求人案内の山だったのです。

 

それは有名大学であることを差し引いても恐るべき量でありました。まるで町内会の資源回収状態というか・・・しかもこれがたった一日の郵送物だというのだから「ひえっ!」という感じでしたね。

 

そして求人案内そのものも、これがまた品がないほど豪華でして「オールカラー&金箔あり」なのはもちろんの事、内容の方も「お泊り説明会」「事前海外研修」だなんだと、なにやら美味しい事がいっぱい書いてあるわけですよ。僕はそれを見て「社会っていうのはやっぱり凄いんだな」と強烈に思ったものでした。

 

面接即決定(所要時間3時間)

それからしばらくすると企業面接の解禁日になりました。下兄さんはリクルートスーツに身を包み、超超有名企業二社の面接に向かいました。果たして…まだ夕方とも言えない時間帯に下兄さんは帰ってきました。

 

「どうだった?」「まああんなもんかな」と、下兄さんがネクタイを外す間もなく電話のベル。

 

「…宜しくお願いします」と即内定。受話器を置くとまたベルが…

 

「…少し考えさせてください」と、今度は保留という名の断りを入れる下兄さん。

 

家を出て、戻ってきて、本当にトータル3時間で就職活動終了です。

銀座ライオン

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その夜、上京前から僕がずっと憧れていた「銀座ライオン」に内定のお祝いに出かけました。想像通りの空間に大満足しつつ楽しく過ごしたのですが、やはり就職活動というものの、そのあまりのあっけなさに驚いていた僕でした。というより

 

「なるほど、就職ってこういうふうにするんだ」

 

と、完璧に間違った認識をしてしまったホロ酔い気分の僕なのでありました。

 

要は

 

『就職というのは企業の方から勝手に沢山案内状を送ってきて、そこからよりどりみどり、気に入ったところをピックアップして面接したら即入社決定』

 

と完全に思いこんでしまったのです。はい。そもそも彫刻家志望という事もあり、当時から僕はおバカな事に、あんまり就職活動というものを意識した事はなかったのですね。しかしながら「世の中の人ってどうやって仕事に就くのだろう?」みたいな漠然とした疑問はあったわけで、その答えというものを、この時に目の前で見せられた気がしたのです。まあ、その理解の仕方が完璧に間違っていたことは言うまでありませんが。

 

5年後、僕が卒業の時は…

それから5年後の1993年の夏。

卒業年度だった僕は、ふと下兄さんの就職活動のことを思い出し、

「何かの間違いで俺にも求人案内が届いたりしないかな?」

なんて思ったりしたのですが、これがものの見事に一通も来ませんでした。まあ何も動いていませんので当たり前と言えば当たり前の話なんですが…それでも、あの夏の下兄さんの『資源回収状態』を目の当たりにした身としては「ちぇっ、一社くらい無いのかよ。しけた社会だせ」と、憎まれ口の1つも叩きたくなるというのは、もう無理からぬところなのであります。はい。

 

あれから本当に30年かあ。
久々に銀座ライオンに行きたいな。

 

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