ころまろ☆昭和45年男

毒舌ネットコメンテーターのサブカル話。たまに愛。

【昭和が終わった日】1989年の今頃の話その1

スポンサーリンク

※ここは常に30年前の今頃の話をするカテゴリイです。

f:id:koromaro:20200228022625j:plain



30年前の今頃。僕は芸大進学を目指す福島市在住の高校3年生でした。

そして正に受験目前だったのであります。

 

 

昭和が終わる

 

1989年の1月7日のは高校の始業式でした。その日は土曜日でしたが、当時は週休2日制前夜でありまして、たとえ幕ノ内の土曜日であろうが、これはもう容赦なく高校に行かなければいけなかったのです。そんなわけで仕方なく起きてTVを点けますと・・・なんだか様子がおかしいのです。

 

「宮内庁長官の会見があります」

 

宮内庁より何かしら重大な発表、、、それは当然「弾き語りドームツアー」だったりするわけはなく「昭和天皇の身に何かがあった」という事に他ならなかったのです・・・というか、もうその時点で

 

「ああ、天皇がついに亡くなったんだな」

 

と、僕を含むほぼ全国民が理解しておりました。既に危篤情報が流れてましたから・・・そして時間になり宮内庁長官が登場しまして、案の定

「天皇陛下におかされましては、本日、吹上御所において崩御あらせられました」

と発表したのです。その瞬間、NHKのテレビ画面いっぱいに

 

「天皇陛下 崩御」

 

という文字が映し出され、これまでに聞いたこともないような、みょうちくりんなチャイムが鳴りました。

 


昭和64年1月7日7時55分・天皇陛下崩御

 

 

『そうか、天皇が死ぬことを崩御って言うんだな』

 

そんなわけで「昭和の終わり」というものは、慌ただしく忙しい新学期の朝に、なんだか「ふっと」やって来たのでありました。

 

新元号「平成」

 

半ドン(死語)で学校を終えた僕は、絵を習っていた画家のアトリエで、独りラジオを聴きながらデッサンを書いておりました。そしてそこで新元号「平成」の発表を聴いたのです(だからあの小渕恵三の有名な発表シーンを生では視てなかった)。

 


昭和64年1月7日・新元号平成

 

譲位である今回と違って、当時は新元号の話題というのはタブー中のタブーでしたので、「平成」という名称はその時が本当に初出でした。そしてそれに対する僕の第一印象は

 

「なんだか間が抜けてるな」

 

だった事をよく覚えています。

 

 

2人の昭和天皇論

 

週明けの高校では追悼集会が行われました。担任の見るからに左派系の数学教師が「会の意味を考えて静かにしてろよ」と、なんだか実にらしくない事を言ったので、それに対して少し失望したことも印象に残っております。

 

会では校長が「2人の昭和天皇論」を語っておりました。当時は天皇の戦争責任論議が再熱していた時期でもあり、そんな中で「終戦までの天皇と終戦以後の天皇を分けて考える」という思想が広まりを見せておりました。僕はそれを聞きつつ

 

「もう本人が死んじゃったわけだし、ここら辺が落とし所なんだろうな」

 

と、わりと素直に感じてました。

 

ドラえもん

 

1週間ほど続いたTVのレギュラー放送の封印を解いたのは「ドラえもん」でした。これは東日本大震災の時も同様だったのですが、、、何というか、この作品の持つ「日常回帰感」というのは半端ないですね。きっと多くの子供達が心の平穏を取り戻した事でしょう。

と言うわけで前回の改元話でした。本当に結構淡々としてましたね。ですので

「ゴールデンボンバーが改元当日に新元号ソングをリリースする」

なんていう今回の改元とは、やはり隔世の感がありますな。うん。悪くはないけど。

 

 

 

www.koromaro.com

 

 

 

TOP