ころまろ☆昭和45年男

毒舌ネットコメンテーターのサブカル話。たまに愛。

【上野発の夜行列車に本当に乗る】1989年の今頃の話 その3

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※ここは常に30年前の話をするカテゴリイです

30年前の今頃、現役の受験生だった僕は、上京しての冬季講習参加を望んでいたのですが、担任の先生に「出席日数が足りないから補習に参加しないと本当にアウトだぞ」と脅され断念することになりました。

 

その代わりに1日だけ上京して、描きためた絵を予備校の先生に見てもらう事にしたのです(まあ結局それも高校をサボって行ったわけなのですが)。

 

さらにはそれだけでなく、「偶然」その日に代々木で開催される体操の国際大会も観戦してしまおうという腹積もりでした。何と言っても憧れの女王アウレリア・ドブレが来日するのです。この機会を逃す手はありません。

 

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そんなわけで冬のプチ上京編です。夏の上京から半年にも満たない時期でしたが、都会は既に別の顔を見せておりました。

 

 

ファッションのロック化

 

予備校前にたむろしている連中の雰囲気が一変したことに驚きました。夏の時は「渋カジ系」のチャラい人が多く、僕は「何だかコカコーラのCMみたいだな」なんて思っていたのですが、それが冬になりますとライダースジャケットやブーツインのブラックスリムジーンズという、かなりハードな格好をしている人が多くなっておりました。男子のストレート系ロン毛が出始めたのもこの時期だったと思います。

 

タレントショップ

 

当時はとんねるずの「ねるとん紅鯨団」という素人お見合い番組が大人気だったのです。僕がうろついていた代々木界隈でも、この番組のショップである「バレンタインハウス」の袋を持った女の子を多数見かけました。

 

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そして「とんねるず」のみならず、いわゆる「原宿のタレントショップ」というものは、ここから爆発的&刹那的に拡大して行ったのです。タレントの名前貸し副業。正にバブル名物という感じでしたね。

 

 

 

迷惑な清風コンビ

 

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予備校訪問を終え、夜に体操の大会が行われる代々木第二体育館の下見に行った僕は、そこで長蛇の列に遭遇します。

 

「あれ?チケット発売って4時からだよね?」

 

そうなんです。当時は池谷幸雄&西川大輔の「清風コンビ」人気が爆発しており、地味だったはずの体操競技がアイドルのコンサート並みの人気になっていたのでした。

 

しかしルーマニアのドブレやシリバスに「自作の肖像画が描いてあるサインボード」持って会いに来た僕にとっては、そんな現象は迷惑でしかありませんでした。僕は午後の予定をキャンセルして慌てて列に並んだのです(3時間待ち)。

 

 

松井康真

 

しばらくするとニュースステーションのクルーがやってきました。言うまでもなく清風コンビフィーバーの取材でして、スポーツ担当の松井康真アナが順番にインタビューしていきます。

 

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この松井アナは別に特別イケメンという訳ではないのですが、バブル期の理想の男性像である高(高身長、高学歴、高収入)を絵にかいたようなスタイリッシュさを見せておりました。その心が全くこもってなさそうな眼鏡越しの笑顔も含めて、まあ正直、なんだかちょっと面白くなかったです。はい。

 

前に並んでいる「高校サボって常磐線で来ました」的な女子高生二人組がインタビューを受けている間、僕は

 

「僕は清風コンビには興味ないですね。五輪では膝のケガで良いところのなかったルーマニアのドブレがどれくらい復調しているのか?それを見に来ました」

 

という言葉を頭でずっと反復していたのですが、当然のことながら松井氏は華麗にスルーし、他に行ってしまいました。

 

 

上野発の夜行列車

 

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その後、ぎりぎりチケットをゲットして、ドブレとの接触も何とか果たした僕でしたが、言葉が上手く通じず、気合いを入れて持って行ったサイン用の肖像画などを持ち逃げされてしまいました。

 

しかも新幹線の終電を逃し、僕は上野発の夜行列車(各駅停車)で、福島まで帰宅することになったのです。次の日も学校があって、もう絶対に休めないレヴェルでしたからね・・・そんなわけで僕は

 

「東京と福島って本当に陸続きなんだな」

 

なんて妙な事を考えつつ、ウンザリしながら各駅停車の駅を眺めておりました。雑誌でもあればいいのですが、手元には数ページの体操のパンフレットしかありません。

12時を超えた頃には客室の電気が落ちてしまい、室内灯のような薄暗い灯りのみになってしまいました。そして関東平野を抜けた車窓の外は、それこそ漆黒の闇でした。

既に車両の中には僕一人しかいません。

しかしながら、この状況で寝るわけにもいきません。もし寝過ごしたら、それこそ冬の青森ですからね。リアル石川さゆりじゃあるまいしシャレになりません。


津軽海峡・冬景色 石川さゆり(当時19歳)




そんなわけで、拷問のような暇な時間を悶々と過ごした僕は、深夜の4時過ぎくらいに、ようやく福島にたどり着いたのでした。はい。

後で聞いたら、車掌に言っておけば起こしてくれたのだという・・・
次に機会があったらそうします。はい。

 

 

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