ころまろ☆辛口エンタメ塾

毒舌ネットコメンテーターのサブカル話。たまに愛。

【平成元年の今頃の話5】COMPLEXのデビューとミカバンドの再結成【意外な仲間】

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※ここは常に30年前の話をするカテゴリイです

 

今から30年前の1989年話。今日は音楽編です。

 

 

 当時のロック界

COMPLEX

 

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ナベプロを離脱して干されていた吉川晃司さんと、BOOWY解散後にボーカルを求めていた布袋寅泰さんの利害が一致して組まれたユニットですね。当初は「髪を立てる」という訳のわからない縛りも、このバンドのコンセプトに含まれていたと記憶しております。

それで当時、泉谷しげるさんが司会していた音楽番組(そんなものがあったのだ)で、デビューシングルである「BE MY BABY」のPV撮影の様子と、完成したPV全編が公開されたのです。当然、僕も過剰な期待を抱いてオンエアを視たのですが…、これが正直「なんてダサいんだ」というのが第一印象だったのです。

 

www.nicovideo.jp

 

やるからには「振り切った何か」を見せて欲しいと思っていたのですが…まさかの方向に振り切っていたというか…この忌々しくも単調な曲というのも、硬派さが皆無な軟派な歌詞も、バブルならではのホワイトバックな映像も、さらには布袋の赤いギターに至るまで…もう何から何まで全てダサく思えたのです。

 

♪瞳を閉じれば いつも君がいる
笑顔ふりまいて 駆け寄ってくるよ♪

 

そんなわけで「俺と別れてまで布袋がやりたかったことがあれなのか」という氷室京介さんの嘆きもよく解ったというか・・・僕自身、アイドル時代の吉川さんとBOOWYのカッコ良さというものは、かなり認めていただけに(何様だ?)、それを捨ててまでやったことがこれかよと、結構驚いたものでした。

 

が、しかしながら・・・これが「いつの間にか気に入ってしまった曲」というオチなのです。早すぎる「ダサカッコいい」と言うべきか・・・東日本大震災復興ライブのオープニングで演奏された際も実にカッコ良かったです。はい。

 

 

サディスティックミカバンド再結成

 

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サディスティック・ミカ・バンドが、桐島かれんさんをボーカルに迎えて再結成したのもこの頃でした。当時は80年代半ばから始まった空前のバンドブームの絶頂期でありました。それ故、日本産ロックの基となった『はっぴいえんど』や『サディスティック・ミカ・バンド』は、伝説のバンドとして神格化されていたのです。ですので、この再結成は大いに話題をよびました。

 

しかし再結成と銘打ちながら、ミカバンドの象徴であるボーカルの福井ミカさんが参加しなかったのです。ミカさんは当時イギリス在住でしたが、日本のメディアにもちょくちょく顔を出しておりましたので、そんな彼女が再結成に加わらないと言うのは、なかなか衝撃的な出来事でした(当の本人は「呼ばれてもいない」と不快感を表明)。これにより伝説のバンドの再結成に、一気に不穏な空気が漂ってきたのでした。

 

そんなわけで『ミカさんがいないミカバンド』というのは、果たしてどうだったのかなという話ですが・・・ミカバンドはリバイバルに走らず、新しいサウンドを用意してきたのです。

一般的に「ミカバンド」というと、国立競技場のユーミンや、記憶に新しい木村カエラさんの時がそうだったように「タイムマシンにおねがい」がド定番なわけです。言うまでもなくバンドの名刺がわりの代表曲ですからね。

しかしながら、この再結成の際に、ミカバンドはそれに頼らず、ちゃんとオリジナルシングル&アルバムを出しているんですね。それも「いかにもミカバンド」な70年代的なロックテイストを捨て去り、来るべき90年代を見据えるような新たなサウンドを提示したのです(のちに「タイムマシンにお願い」もリリースしましたが)。

事前に全く実力が未知数だった桐島さんのボーカルも、その新たなサウンドと上手くマッチしておりました。そんなわけで再結成はなかなかの盛り上がりを見せ成功におわりました。個人的にもアルバムナンバーの「ダシールハメット&ポップコーン」が、いまだにお気に入りのヘビロテ曲だったりしております。

 


ダシールハメット&ポップコーン

 

ガンズ&ローゼス

 マイケル、マドンナ、プリンス、ホイットニーいうような、いわゆる典型的な外タレというか、老若男女向けのスーパースターが一段落したこの時期に、ぐぐっとブレイクしたのがこのバンドです。当時の僕はこんなにハードなサウンドがメインチャートを席巻する様を、何だか不思議な思いで眺めておりました。

それでこの少し前の世代のロックバンドというとボンジョビあたりが挙げられると思うのですが、何だか妙に善人くささが感じられた彼らと違い、このガンスは見るからに不良感溢れる集団でした。実際、インタビューの態度なんかも悪かったですからね。はい。

そんなわけで彼らは「ロックシーンにおいてもチャリティが大流行」という、余りにも健全だった1980年代の終わりに登場し、そこに「sex&drug&rock'roll」という1970年代以前の空気を呼び戻したような、そんな存在だったよに思っています。そういえば彼らのファッションにもフォロワーがたくさん生まれましたしね。特にアクセル・ローズの「ロン毛スタイル」は、のちの「チーマー」にもかなりの影響を与えたと思います。

 

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でも個人的には「ガンズ&ローゼス」という名には「遅れてきた青年」というイメージがあったりします。日本の80年代の洋楽ブームの盛り上がりは、たぶん1988年に終わりを告げていたのですね。だからこと日本において、ガンズはギリギリ遅れてきたバンドだなあという印象が強かったりします。

まあ、そんなのまるで問題にならないくらい、世界的に大ブレイクしたバンドですけどね。僕が言うまでもなく。


Guns N' Roses - Sweet Child O' Mine (Alternate Version)

 

「思わぬ仲間」

 ここからは個人的な話ですね。

1989年に入ると高3だった僕は、すっかり受験シーズンに本格突入です。要はセンター試験を受けたり志望校の願書などを取り寄せたり、さらには宿泊先の手配をするような時期ですね。僕だけでなく、クラスでは受験旅行に旅立つ人も多くなってきました。 

 

僕が受ける学校は東京芸大と武蔵野美大です。芸大は説明不要として…一校に絞ろうと思っていた私大をムサビにしたのは理由がありまして、一つは一番有名だったというか…名前も場所も、田舎の僕にも理解の範疇にあった美大だったのです。当時の俺は「基本山手線。応用中央線」という感じでしたので、地方在住者にとっては、意外にこういう部分が大きかったりしたのですね。あとはあんまり言いたくないですが、当時は村上龍の影響もちょっとはあったかなと記憶しております。

 

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それともう一つ、夏期講習の際に「来年のムサビの試験は課題がガラリと変わるらしい」という噂を聞きつけたのですね。それが理由というか…いわゆる美術予備校が無い地方都市の人間にとっては、そういう状況そのものがフェアであるというか、ハンデがあまり無い気がしたのです。 はい。

 

そんなふうに自信満々に悶々としていた時期のある日。
登校日に高校に行くと、隣のクラスのさほど親しくない奴が、僕のところに来て急に話し掛けてきたのです。

 

奴 「そういやムサビ受けるんでしょ?」
僕 「ああ、受けるけど それがどーかしたか?」
奴 「実は俺も受けるんだよ」
僕 「・・・・・・・・・・・・・」
奴 「デザイン科なんだけどさ」
僕 「ええーっ! それ本当の話かよ!!」
奴 「そりゃ驚くよな」
僕 「おっ、お前!絵の勉強なんてしてたか?」
奴 「いやしてないよ。今回は記念受験ってことで」
僕 「記念受験って…おいおいおい…」
奴 「お前を見てたら美大って楽しそうでさ」
僕 「いやいやそんなに甘くない、甘くないんだよ…」
奴 「わかってるよ。だから今回はためしの受験だよ」
僕 「つーか、もっと早く相談してくれれば…」

 

僕の通っていた「美術のない高校」において、まさか自分以外に美大を受ける人間がいるなんて、全く頭になかったわけです。ほんとにねえ、もうちょっと早く教えてくれればという感じなのですが…まあ今さらそれは仕方ないと。そんなわけで、せっかくならばと早速打ち合わせをした僕たちでありました。

 

美大受験は当然ながら未知の世界。受験が重なるならば一緒に行動したほうが心強いし、ホテル代などの経費も安く済みそうだったのですが…残念ながら奴の受けるデザイン科と僕の受ける彫刻科の試験日程は、ものの見事にすれ違いということが解ったのでありました。仕方がないので新宿(アルタ前)で待ち合わせして、先行受験する奴の感想と情報を聞くことにしたのでした。

 


笑っていいとも!のスタジオアルタ前と新宿駅東口 昔と今 同アングル比較

 

つづく


 

 

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