ころまろ☆昭和45年男

毒舌ネットコメンテーターのサブカル話。たまに愛。

【武蔵美での試験トラブル】1989年の今頃の話8

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※ここは常に30年前の話をするスレッドです

 

なぜか今更、僕の受験時代を超長文で振り返るお話です。


30年前のちょうど今ごろ、僕はムサビの試験のために上京しておりました。今回は「試験トラブル」の思い出話です。

 

 

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この時の武蔵野美大受験は、僕にとって最初の美大受験であった事もあり、なかなか忘れ難いものがあります・・・というか、この時、実際に「忘れようにも忘れられない事件」が起こったのですな。

 

初日。学科試験の日。

 

西武国分寺線鷹の台。小平市小川町。その日は抜けるような良い天気で、これがすこぶる印象が良かったのです。当時の僕は東京といえば上野と新宿くらいしかしらなかったわけでありまして、だからこの時に「東京も郊外はこんなにのんびりしてるのか」と何だか妙な親近感がわいたのです。

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そして学科試験はびっくりするくらい簡単でした。こんな事を言うと自慢話のように思われてしまうかもしれませんが、本当にそうだったのだから仕方がないです。少なくとも共通一次とは比べ物にならないほどの低難度でした。

そんなわけで学科を難無くこなし、翌日は実技試験です。

 

実技試験は「着衣の座りの女性」

 

この日も素晴らしい青空で、朝から縁起が良い感じがしたというか「これは余裕でいける」と感じていた僕でした。試験会場(油絵科のアトリエ)に入ると、そこに用意されていたのは着衣のモデルさんです。軽いどよめきが起こります。

我々に課せられる実技試験課題は「六時間の着衣座り人体の鉛筆デッサン」でした。やはり噂どおり試験課題は昨年までとはガラリと変わっていたのであります。うん、よし、追い風だなあなんて、僕はそのときは呑気に思っておりました。

しかしながらそんな思いは、試験開始後すぐに吹き飛ぶことになったのです。

 

暗雲立ち込める

 

先に書いたとおり、その日は快晴であり、当然、自然光で試験が開始になったのです・・・が、2ポーズ目くらいから一気に暗雲が立ち込めてきたというか・・・分厚い雲が空を完全に覆ってしまったのですね。昼なのに夜のように暗い空模様ってあるじゃないですか。このときは突然そんな状態になってしまったのでした。

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それでさらに運が悪いというか、僕の割り当てられた位置は壁側だったのです。ここはもうモデルはおろか、書いている画面も暗がりでよく見えないという劣悪環境でした。しかも時間を追うごとに状況は悪くなっていくという・・・そうなると「じゃあ電気を点ければいいじゃん」という話になってくるのでしょうが、いうまでもなくデッサンにとって光は命なのです。途中で採光が変わってしまったら絵にならないというジレンマですね。ポーズが進むごとアトリエ内が微妙な空気になっていきました。

そんな状況でどんどん時間が過ぎていき・・・もうすぐ昼。僕も内心かなり焦っていると、試験中であるのに、隣の男が大きな声で話し掛けてきました。

「全く見えませんよね」
「見えません」

しーんとするアトリエ。 (もともとシーンとしている)

 

打ちきりで再デッサン

 

お昼になり、お昼が過ぎる。真っ暗空模様はそのままです。

午後の試験開始。恐ろしい事ににそのままの状態で試験継続だというのです。「これじゃ不公平でしょう」と東京弁で試験官に抗議する隣の男。それに対し「いま対策を協議中なのでしばらく待ってください」と答える試験管。なすすべなく隣で腕を組んでいる僕。

ジリジリ時間が進む。好転するどころかどんどん暗くなるアトリエ内。もはや「全く見えない」という人間は僕等だけではなくなっておりました。時折ため息や苦笑いの声が響きます。

結局、ラスト2時間を切った段階で、そこまで描いていた最初のデッサンは打ち切られ、その後すぐに照明を点けて、残りの一時間半くらいの時間で、その日2枚目のデッサンを書くという事になりました。

 

 

怒り心頭

 

苦肉の策ですが・・・・判断が遅すぎましたね。照明が点けられた段階で、俺は自分が描いた最初のデッサンをようやくちゃんと見ることが出来ましたが、進行度的になかなか厳しいものがありました。そして壁際と窓際ではデッサンの内容が明らかに違っておりました。そしてハイスパートで書いた二枚目のデッサン。でも、これに関してはあんまり記憶がないですが、相当焦っていたんだろうなと思います。

 

さらにその後の記憶もあまりないのです。 自分自身に対しては抜群の記憶力を誇る僕なのですが、この時どうやって帰ったんだとか、そういうことを全く覚えておりません。だからよっぽど頭に来ていたんだろうなあと思ういます。試験前の好印象は吹き飛び、要は「こんな学校に二度とくるもんか!」と怒り心頭だったわけです。

そしてその言葉通り、案の定、落ちてしまったのです。

 

客観的に受かってた

30年も経つのに恨み節を言うのもあれなのですが、やっぱりあの試験の対応は酷いものだったと思います。これが別に「みんなに等しく酷い」のであれば僕は全く文句はないのですが、この時はあまりにも不公平だったのです。

まあ美大の試験において「位置的な不公平」って言うものは当たり前にあるのだし、そういうものは当然僕も受け入れるわけなのですが、しかしながら「全く見えない位置」というのは酷すぎるだろうという感じですよね。こっちとしては(その時点では)人生をかけて取り掛かっているわけなんだから、やっぱりねえ・・

そして人生という点で言うと、妄想ではなく客観的に考えて、もしまともな試験だったら、この時に僕は現役で受かっていたと思うのです。事実、学科で言えば浪人の時よりも20~30点(200点満点中だよ)は上回って取っておりましたし、鉛筆デッサンにしても、ほぼ一年間鉛筆を握らなかった浪人時代より(芸大の試験は鉛筆ではなく木炭だった&不真面目だった)、あからさまにこの時の方が描けていたのですね。

 

30年というもの

だからもしまともな試験だったら・・・と思ってもやはり30年ですね。

 

その日々の重み。今の自分と、今の自分の周りをこよなく愛している僕にとって、その「もし」はいらないのです。

 

何かあるとするならば、それは遠く遥かなあの日々と、感受性がマックスだったあの頃の自分に対する・・・うーん、なんだろうな?シンパシーかな?

 

そんな思いですね。

ただただ遠く、ただただ懐かしい。そしてそれが少し切ないのだと。

 

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