ころまろ☆辛口エンタメ塾

毒舌ネットコメンテーターのサブカル話。たまに愛。

【平成元年の今頃の話8】終わり行く昭和のものたち【猪木、オフコース、白い戦士ヤマト】

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※ここは常に30年前の話をするスレッドです

 

さてさてさて。 30年前、僕の高校三年の受験期を超長文で振り返っているお話です

1989年の今頃、要は昭和64年があっという間に終わり、平成元年になりたての時期の僕の話ですね。はい。今回は「昭和 その終わりゆくもの」のお話になります。

 

 

吾妻連邦の黄昏の美しさ

ムサビに落ちてしまい、残るは芸大の試験のみとなった僕でしたが、なんにせよ春から上京することは心に決めておりました。

春の別れ。それはもちろん「人との別れ」というものもそうなのですが(これについては相手もあるのであまり語らないでおきます)、故郷である福島との別れというものは、やはり大きなものでした。

 

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例えば吾妻安達太良連峰に沈んでいく美しすぎる夕日。その中腹の、まるでブローチみたいな高湯温泉郷の灯とかをぼんやりと見ていますと、なんだかとても胸にしみるものがありました。それまで当たり前だとしか思ってなかった光景。その美しさというものを、失いそうになってはじめて気がつくという…この時はそんな思いばかりでしたね。

 

画家のアトリエ

高2の夏から入り浸っていた画家のアトリエ。僕はそこでさまざまなものを学び、出会い、別れ、観て聞いて、体験もし、そして喜び悩んで過ごしていたのです。しかしながらこの時期になると「ああ、ここを出て行くんだなあ」という気持ちになっておりました。

そしてそんなある日。僕の高校の後輩が、あの日の僕と同じように、このアトリエを訪ねてきて、そして僕と同じようにデッサンを画家に習い始めたのです。だからなんと言うか、入れ替わりじゃないですが

「俺はもう次のステップに行かなければ」

という感じに必然的になっていたのです。加えて「ここは一人で絵を書く場だ」なんていうような勝手な思い込みもあったりしたわけなのです。うん。

 

アントニオ猪木

アントニオ猪木さんが実際に引退したのは1998年の事ですが、第一線を退いたのは確実にこの頃だったと思います。当時は政治家への転身が確実視されており、おそらくこの年の4月に行われる「プロレス初の東京ドーム興行」という舞台が、実質的な猪木さんの引退試合になるのではと噂されていたわけです。

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しかしながら「燃える闘魂」の落日を頭では理解しつつも、自分にとって一番のヒーローである猪木さんが、弟子の長州選手などに完全なピンフォール負けを喫したりする姿は、もう切なくて視ていられなかったですね。それまではたとえ猪木さんが負けるにしても(それ自体滅多に無かったですが)、それは往々にしてアクシデンタルなものだったのですね。だからこの見事な負けっぷりというものを見て、もう本当に時代の終わりが来たのだなと思ったものでした。

この時、猪木さんはもう45歳だったのかな?猪木さんのプロレスのスタイルはシリアスなものだっただけに、確かにこの辺りが潮時という感じはあったのです。が、しかし…という。

 

オフコース

オフコースもこの時期に東京ドームで解散ライブを行いました。1984年に4人体制になってからは、彼らはバンドでありながら各々のソロワークが活動の主軸となっていました。それゆえ傍目から見てもバンド内が上手く行っているようには思えない感じだったのです。そしてそれを裏付けるように、なんとも微妙な間隔でリリースされるアルバムは、その質を、その都度に落としていきました。

そんな何やかんやがありましたので、ファンである僕ですら「もうこれは解散やむなしだな」と思うような解散劇でしたね。これは。

 

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以下。解散についての各人のコメントです。

小田さん

「4人になってからは本当に色々な事があったんだよ。誰も悪者にならないのならば、本に書きたいくらいの人間模様だった」

松尾さん

「小田さんの右腕の鈴木さんが抜けて、なんとか3人でその代わりになろうとしたけど、結局そうはなれなかった」

清水さん

「前のバンドのことは話したくない」

 

ちなみにあのイルカさんは「やっと解散出来たね」と言って小田和正さんを労わったそうですが…その言葉からもバンドというものの難しさを感じる事ができますね。

 

 

白い戦士ヤマト

小学校低学年~高校三年まで読み続けてしまった高橋よしひろ先生の闘犬マンガです。そういうと「ああ犬がしゃべって熊と戦うやつね」と言われたりするのですが・・・それは『流れ星 銀』ですのでお間違いなきように。

 

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これは月刊少年ジャンプに連載されていた作品で、当時は「月刊マンガ初の100話」を達成するなど、結構人気があったものなのです。最初は東北の田舎の地方闘犬を舞台にしたあくまで正統派の物語でありまして

 

「少年と名犬の心温まるリアリズムマンガ」

 

だったのですが・・・回を重ねるごとに、ジャンプ的に、リングにかけろ的に内容がボルテージアップしていくのは、まあ、お約束ってものなのでありました。

以後、ただの秋田犬のヤマトが、

 

「大蛇、トラ、大ムササビ、猿神、日本狼、鮫(!?)、ピューマ、リカオンを撃破」

 

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さらには

「殺人実業家の軍用犬施設を破壊」

さらにはさらには

「超筋力で天井に張り付く」

さらにはさらにはさらには

「特殊治癒能力で刃傷を気合でふさぐ」

という超展開。

 

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そんな展開に対して、さすがに僕も高校生にもなると「こんなものをいつまでも読んでいて、俺の人生、それで良いのだろうか?」という疑問もなかったわけでもないのですが、なんだか義務感に駆られてずるずるという時期が続きまして…それを察したのか、ヤマトは山形地方闘犬に復帰し、さらには今更感溢れる「山形地方闘犬の横綱昇進」を果たし、物語は強引に、なおかつ恐ろしく地味に最終回を迎えたのでありました。

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それでもって、僕の記憶が確かならば、この最終回を読んだのは「昭和」がまさに終わった週だったのです。そして僕はこれを福島駅の新ビル「ルミネ」内の、新しい本屋で読んだのですね。長期連載の終了も相まって、感慨もひとしおだったというか、多くの何かが終わり、多くの新しい何かが始まる中で、僕は福島を離れていくという。。。。

 

そう、僕にとって昭和というものは「少年期」と「福島時代」というものと完全にイコールになっていたのです。さよなら少年の日。さよなら福島。私の心は花模様・・・って感じでしたね。ほんとうに。

 

 

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