ころまろ☆辛口エンタメ塾

毒舌ネットコメンテーターのサブカル話。たまに愛。

【平成元年の今頃の話12】芸大の合格発表

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※ここは常に30年前の話をするスレッドです


なぜか今更、30年前の僕の受験期を超長文で振り返るお話です。まずは当時流行っていた楕円形のボール競技についてですね。

 

 

ジョー・モンタナ 

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「本当の天才」といえばこの人も外せません。 アメフトで「モンタナマジック」が決まりまくっていたのもこの時期であります。

 


Miracle Face

 

当時は日テレがスーパーボールをゴールデンタイムに中継しておりまして、そこには当然のごとく浪人時代の長嶋茂雄がコメンテーターとして出ておりました。

 

「いわゆる一つのモンタナマジックがですね。びゅっと来てばっと連続で決まるわけですよ。お茶の間の皆さんも・・・どうでしょう?」

 

そんな画面の中の長嶋に対して「うるさい黙れ!浪人のくせにでしゃばるな!」と言おうにも、その前に存在感がありすぎるわけです。たぶんこれも、いわゆる一つの天才性なんんでしょうね。やっぱり。

 

そういえば当時、

「僕はアメフトの実況をしたくて日テレのアナウンサーを目指したのです」

という若いアナウンサーがいましたが、その後、あっという間に日テレがアメフトから撤退した事についてはどう思ったのでしょうか・・・・って、まあそんなの本人も忘れているか。そもそもそいつは受かったわけだしな。ぶつぶつ。

 

 

大東文化大優勝

 

大学ラグビーにおいて、大東文化大が明治と「同点両校優勝」でありながら「トライ数の差で日本選手権初出場」となったのもこの時期でした。

 

『トンガの王様が「そろばん」に魅入られ、日本に留学生をたくさん送り込んだ→信じがたい身体能力で大学ラグビーを席捲→大東文化大のラトウがブレイク』

 

という流れだったと記憶してます。そのまま一気に優勝してしまいましたね。

敗れた明治の名将北島忠治が、色紙に一言

 

「前へ!」

 

と書いていたのも忘れられないです。

 

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はい。もうすでに時代も季節も進んでいるのです。

僕も前に進まねばなりませんでした。

 

そう、たとえ目の前に道がなくとも。

 

容赦ない予備校業者
 

さてさて、ここからはその頃の僕の個人的な話になります。そう今日はいよいよ芸大の合格発表編です。

 

いよいよ芸大の合格発表の日になりました。バブル期の、そして第二次ベビーブーマー期の、さらには美術系の最高峰の受験ですので 、これはもう、そもそもが厳しい受験なのです。

しかしながら、内心自信に満ち溢れていた自称天才の僕は、お世話になってる予備校の人たちの誘いを断り、一人で合格発表を見に行くことにしたのですな。要は

 

「俺が受かって、先輩方が落ちてたら気まずいよな」

 

などという、実に不遜な理由からです。いやはやほんと、なめてますねと。 いまさらながらどうもすみません。

 

そんなわけで、定刻から少し遅れめで着いた上野公園。 芸大の方からは「今、まさに落ちてきました」と言う風情の若者の群れがぞろぞろと帰ってきております。それも手には大量の予備校のパンフレットを持って・・・・ (血も涙もない話だが、芸大の入口には予備校業者が大挙集結してパンフレットを配っているのです)

 

しかしながら、皆、意外に表情は明るいというか、この「参ったなあ~」みたいなノリは、美術系受験独特のものなのかもしれないなと思います。うん。そもそもほとんど受からないわけですしね。そして当然それに対し

「ねえヘルメス、人間、こうはなりたくないものだよね?」

と歩を進める僕でありました。

 

 

 

大学受験の聖帝十字陵
そんなわけでたどり着いた掲示板の下。 悲悲々々・・・・・喜こもごも。 恐る恐る自分の番号を探してみると・・・・

 

ナイィ━━━━━━━∑(゚□゚*川━━━━━━━━イッ!

「落ちちゃったよう…嘘だ…」

 

張り出された合格番号はありえないほど馬鹿でかかったのです…その大きさと、合格者のあまりの少なさゆえ、当然、見間違うはずなどないのですね…

「ねえヘルメス、僕の番号がないよ…」

そう、俺は天下分け目の受験で、純度100%落ちてしまったのであります。試験課題も含め、あれだけ後押しするような出来事に恵まれながら…正にがっくりなのでありました。

「そうだ。あの部屋で俺が一番上手かったはずだ」僕は一筋の希望の光を思い出し、今一度掲示板を見上げてみました…しかし…そこには僕の受験番号の前後、計50番くらいがごっそりと抜け落ちているという非情な結末が示されていたのでありました。

「ああそうね、誰も受からなかったのね…とほほ…」

なんと部屋ごと全員落とすとは…ぐうの音も出ないくらい納得させられる非情な現実であります。まさに恐るべきは芸大受験。やはり超難関。田舎の自称天才少年がなめてかかってはいけない大学受験の聖帝十字陵だったのでありました。

 

人目を忍ぶ上野公園
 

そんなわけで、僕のしょぼくれた心模様というものは、行きの際とは大違いです。まるで人目を忍ぶ「福田和子的心境」で上野公園を歩いていきます。

「今日は『地獄の門』を見たくないな…」

僕は自分が彫刻の道に進むきっかけになった作品を避けました。西洋美術館に背を向けた僕は進むべき道を完全に見失い、なぜかアメ横に到達しそこを通り抜けました。雑踏にもまれながら途方に暮れる僕。しかし人間。そんな状況でも何か行動しなければ生きてはいけないのです。

御徒町からようやく電車にのった僕は「フランダースの犬のネロ少年」のごとく、取り合えず知り合いがいるであろう代ゼミに、ふらふらと向かったのであります。

そして…

僕は自分の見通しの甘さを思い知るのです。

僕はそこで「芸大受験の真の恐ろしさ」を知る事になります。

 

 

いい戦力
 

失意のうちに代ゼミに向かった僕が知った事実。それはこの年、代ゼミの彫刻コースから芸大受験に挑んだ者が見事に全員落ちたという衝撃的な事実なのでありました。

 

夏期講習、秋の一時上京、さらには今回の受験直前教習と、俺はここで、ざっと50人以上の芸大志望者と出会ったはずなのですが、まさにそこから誰一人受からなかったのであります。

 

その中には「夏期講習のグデアの人」とか、今思い出しても「受かってなければおかしい」レベルの人がいたはずなのですが…いやはや…これはこれは本当の本当に厳しいなと思った僕でした。まさに「狭すぎる門」「風神の門」「地獄の門」だったのでありました。

 

そして打ち上げという名の残念会。やけくそでかなり盛り上がっているのが、もうなんとも物悲しかたったですね。まさにオーマイTTです。しかし泣いてもわめいても、どうにもこうにもどうにもなりません。その場には多浪も沢山いますからね…現実とは残酷なものです。そんなわけで一時の現実逃避。飲んで~飲んで~飲みつぶれてシマウマなのであります。

 

そんな中、いつも褒めちぎってくれた講師が僕のそばに来て「お前これからどうするんだ」と話し掛けてきました。「春から代ゼミでお世話になるつもりです」と答える僕。「そうか、いい戦力になるよ」と答える講師。

こうして僕の現役受験は2戦2敗で幕を閉じたのでありました。

 

つづく

 

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