ころまろ☆辛口エンタメ塾

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【平成元年の女性芸能人】令和元年に語る平成元年の今頃の話3

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※ここは常に30年前の話をするスレッドです

アイドルヲタクでもある僕ですが、平成元年(1989年)は『バンドブーム』の方に完全に心を奪われており、あんまりそっち方面に興味が行っておりませんでした。とはいえ、それでノーマークというのもまた「ドルヲタ」の名に恥じるというものなのです。

そんなわけで、そんな状況の中でも印象に残っているミッシングリンクな人たちを何人か紹介していきましょう。

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田村英里子


我々の世代は『ふんどし』と言えば宮沢りえであり、『ハンケツ』と言えば田村英里子なわけです。

 


【HD】 田村英里子/ロコモーション・ドリーム (1989年)

 

本人を題材にした『アイドル伝説えり子』というアニメーションが放送されるという、なかなか大胆なプロモーションで売り出された人です。

 


アイドル伝説えり子 OP (New Vocal version)

 

「そんなアニメすぐに打ち切られるだろう」という予想に反して、丸一年続いたのは大したものですし、本人も、いわゆる『正統派』にとってはかなり厳しかった時代に、アイドルの灯を絶やさなかったのは凄いなと思いました。

 

あらためて経歴をみますと・・・

「決定!全日本歌謡選抜・スターは君だ」でグランプリを獲得して芸能界入り。1989年のデビュー曲はオリコントップテン入りした。

当時は本人モデルの主人公というアニメ『アイドル伝説えり子』とのタイアッププロモーションが話題となった(番組内に本人出演のコーナーもあった)。

1991年ではカレンダーにおいて「半ケツ」写真を披露して話題をまいた。

その後は津川雅彦の寵愛を受け女優業で開花し、2000年に渡米しその後ハリウッドデビュー。現在は愛犬とロスアンゼルスに在住している。

 

とのことです。

 

 

www.erikotamura.jp

 

Wink

 

 

当時は彼女たちの魅力が解らず「今さらどうして女性デュオなんかが売れているんだ?」と謎でしたね。そしていまだに謎です。


愛が止まらない ~Turn it Into Love~ / Wink【Official Music Video】

彼女たちが売れて、その余ったお金でデビューすることができたのが、かのフリッパーズギターであります。ですのでWinkはリアルな意味で『渋谷系の母』と言って過言ではないかもしれませんね。

 

あらためて経歴を見ますと

 

『ミス・アップコンテスト』において、鈴木、相田ともにグランプリを獲得し芸能界入り。1988年にWinkとしてデビューする。

同年『淋しい熱帯魚』の大ヒットにより『全日本有線放送大賞』のグランプリと『日本レコード大賞』の大賞をW受賞。『紅白歌合戦』への出場も果たした。

しかしこの年のレコード大賞は、同年死去した美空ひばりの『川の流れのように』を推す人が多く、Winkの同賞受賞は好意的に受け止められなかった。

以降、徐々に人気は低迷。1996年に解散。『シンガーソングライター』としてのソロデビューに二人は前向きではなく、表舞台からフェードアウトしていった。

 

◆鈴木早智子 Winkの活動停止以後はバラエティにも進出。私生活でのトラブルも報じられる中、ヌード写真集出版やセクシービデオの主演などお色気路線に移行した時期もあった。現在は事務所を移籍し、芸能活動を徐々に復活させている。

◆相田翔子 Winkの活動停止はマイペースの芸能活動を続け、女優業もそつなくこなしていった。2008年に医師と結婚。2012年に女児を出産。

 

Winkの活動停止は「事務所都合」であり、2人の仲そのものはWink時代から今に至るまで良好で、Winkのリバイバル企画への参加などに抵抗は全くないそうです。

 

高岡早紀

少し前の剛力彩芽や、今現在の広瀬すずのように、ギョーカイ全体がゴリ押しする存在というのはいつの時代にもいるのですが、彼女は当時そういう存在でしたね。『宮沢りえに続け』というノリで。

 

 

こけしのような『しょうゆ顔』のアイドルでしたが、なんとも言えない色気のある少女で(のちの人生でその理由は判明したけど)、岡田真澄とダンスを踊っても様になる少女でした。

 


【CM 1988-89】madras 企業CM 30秒×3

 

当時、青山スパイラルホールで行ったデビューライブは、今視ても鑑賞に堪えうるものですし、加藤和彦がプロデュースした彼女のデビューアルバムを、僕は今でもたまに聴いてます。

 

彼女も略歴を追ってみますと 

 

14歳のとき、「第3回マドラスシンデレラ・コンテスト」で優勝し芸能界入りする。加藤和彦をメイン・コンポーザーに迎え1988年歌手デビュー。青山スパイラルホールでのデビューコンサートは、その質の高さを絶賛された。

20歳を超えた頃から女優業に専念。ヌードもいとわぬ姿勢で精力的に活動し、1994年には『忠臣蔵外伝 四谷怪談』で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞した。その後も現在に至るまで芝居の世界で活動を続けている。

私生活では1996年に保阪尚希と結婚。二児を儲けるも2004年に離婚した。


今の高岡早紀と言いますと、女優業を継続しつつ、現在は音楽活動に力を入れています。ライブの予定もあるようですね。

www.takaoka-saki.com

 

 

プリンセスプリンセス

 

 

奥井香が「VIDEO JAM」でデーモン小暮と司会をやっていた頃は

『こんなに声量がないとボーカリストとしては厳しいだろうな・・・ついでにルックスも・・・

なんて失礼なことを思っていたのですが、平成元年のバンドブームの波に乗り、まさかまさかの大ブレイクを果たしておりました。

 


プリンセス・プリンセス  Diamonds (ダイアモンド)

 

CD媒体初のミリオンセラーは、彼女たちのシングルの「Diamonds」なのです。それで今回初めて知りましたが、この曲のカップリングが「M」だったんですね。なるほど。

 

プリンセスプリンセスは1996年に解散しましたが、その16年後の2012年に、東日本大震災へのチャリティー資金捻出のために2「1年間限定」で再結成しました。その活動資金の総額は5億1,000万円となり、ライブハウス「SENDAI PIT」の建設も含め、全額を被災地に寄付したそうです。

sendai-pit.team-smile.org

 

 

杉本彩

 

 

 

グラビア方面では彼女が全盛期でしたね。明石家さんまが彼女に「豹よりヒョウ柄が似合う女」と言っていましたが、言い得て妙でした。

 

 


杉本彩 A&D「ハンズフリーテレホンコンポ」 1989年

 

 今の杉本彩と言いますと、現在は動物愛護活動に注力しているようですね。

www.office-aya.co.jp

 

川原亜矢子

 

 

この頃、吉本ばななの「キッチン」が映画化されて、そのヒロインが彼女でした。まあバブルと言えば

 

『デーハーなチャンネー』であり、
『ボブカット&でっかいイヤリング』であり、
『ハイレグ&Tバック』であり、
『ソバージュヘアで上目使い』であったわけですが、

 

それに対するカウンターカルチャーというか、あっさり系の需要も結構あったような気がします。あとはPeeWee系とかね。

しかし映画は凄かったな・・・この世の中には「棒読み」のほかに「棒演技」というものがあることを、この映画のおかげで初めて知ることができました。はい。

 


映画「キッチン」

 

ちなみに今の川原亜矢子といいますと、現在、アメリカ在住でタレント活動も続けているようです。スタイルも当時のまま維持しており、ファッション関連の仕事も好調の様です。

ayakokawahara.com

 

 

 

www.koromaro.com

www.koromaro.com

 



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