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売れない彫刻家のサブカル自慢話

【バブル期の予備校生】令和元年に語る平成元年の今頃の話8  『石膏像と風月いそべ』

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※ここは常に30年前の話をするスレッドです

 

今からちょうど30年前。平成元年春。僕は福島から上京して代々木ゼミナール造形学校という予備校に通いはじめました。ここは良くも悪くも大手の予備校と言う感じでしたね。

 

 

 

予備校との不協和音

 

僕が通う彫刻コースは、前年度の『芸大全員不合格』の反省からなのか、新年度から講師も生徒も総入れ替えになっておりました。そしていわゆる谷間の世代というか、建て直し期に入ったような感じだったのです。それゆえ僕が夏期講習や受験時にお世話になったメインの講師の方も、新設された横浜校に移籍されておりました。

 

そしてそうであるがゆえ、受講生には全くの初心者が多かったのです。木炭や粘土に始めて触る人、さらにはそもそも石膏像が初見な人とかいて・・・まあそれは悪い話ではないのですが、僕にとっては、あの褒め殺しの講師がいなくなってしまった事も含め、あまり喜ぶべき状況ではなかったのですね。

 

そんなわけで、講師陣は「取り合えず描ける奴」はおいておいて、序盤の方は初心者対応に集中していたのです。まあ当然と言えば当然ですし、傍目から見ても、その初心者軍団の日々の成長は凄いものでした。

 

しかしながら、こういう流れに対して、僕も含めた『ある程度かける人』たちの不満は、日に日にかなり高まっていきました。そして次第に他の予備校に移籍する人まで出始めたのです。

 

 

そんなある日、僕は自分では上手く描けたと思った「マルス」のデッサンを、制作中も、終了講評でも、全くただの一言も触れられなかったことに対して、溜め込んでいた不満が爆発したのですな。「ふざけんなよ」と。

それでそれからしばらくの間、僕は『登予備校拒否(あほだ)』状態になってしまったのですな。まあ今思えば「予備校生が何様のつもりだ。しっかりデッサンの勉強をしろ。そもそも自力で頑張る時期だろ」と言う感じですね・・・まあ僕も若かったし・・・ただ、いくらなんでも一声あって良かったろうにと今でも思います。

 

4畳半が石膏像だらけに

 

そして、しばしの登予備校拒否(あほだ)の頃・・・ 僕はただサボっていたわけではなかったのですよ。

 

バブル期の大手予備校。 そのリッチっぷりというのは他の追随を許さないものがありました。特に驚いたのが『石膏像の消費の凄さ』というものです。こう言うと「おいおい、石膏像なんて消費するものではないだろう」って声がしそうなのですが・・・時はバブルですぜ。すべてのものは消費品なのですよ。 要するにこれは

 

「石膏像は一年もすれば汚れてくるもの。生徒が形を誤認識しないためにも、順次新品と入れ替えていく」

 

という考え方ですね。エコ思想的に完璧に間違っていますが、当時はエコなんて意識も言葉も一ミリもない時代なのです。ほんと、まだまだ余裕で10年は使えそうな石膏像が、秘密裏にどんどん捨てられていたのです。どんどん使え経費。どんどん棄てろ使えるもの。

 

当然もったいないなと思った僕は、なんともまあ恐ろしい事に、そういう石膏像をリヤカーで家(四畳半)に持ち返ったのでありました。 新宿高層ビル街を石膏像満載のリヤカーを引いて帰るというね・・・ゆっさゆっさゆれるギリシャローマゴシック・・・かなり異常な光景なのです。

 

そんなわけで、自分でも面白がって交番の前をわざと通過してみたりしたのですが・・・敵もさるもの。おまわりさんは、僕などまるでガン無視なのでありました。

 

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そんなわけで、僕は新兼荘を「オールナイトデッサン室」に作り変えたのです。そこで予備校にも行かず、日々デッサンの自己鍛錬に明け暮れるという・・・なんだか真面目か不真面目か解らない展開ですね。採光的には最悪で描き辛かったですが、やはり勉強になりました。そしてお恥ずかしながら、僕は『この時期以外は遊びほうけてしまう』ので、受験にとってもかなり重要な時期だったと思います。

 

しっかし改めて写真を見ても・・ 異常ですね。

 

マルス、ヘルメス、アリアス、ブルータスという石膏像四天王に加え、セレネの馬頭まであるという・・・信じ難い話です。ここは四畳半一間ですからね。この状況で10人越えの大人数が泊まりに来たりしたんだもんなあ・・・どうやって寝たんだろという。

 

まあ当時の美大受験。
多少狂う必要もあったのかもしれないけど。

 

 

新宿NSビル

 

当時は家と予備校の間がビル街という感でしたので、僕はナチュラルにビル街巡りをしていたわけですが、その中で一番気に入ったのが「新宿NSビル」だったのです。まあNSビルっていうと、他の人にとっては「就職説明会会場」ぐらいの印象しか無いようですけど・・・。

 

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ここは他の高層ビルの半分程度の高さで30階建てのずんぐりむっくりしたビルなのです。それでいて中は広々としていて、しかもとても静かなビルななのでした。

 

背が低い分、客も少ないような印象もあり、勝手に座っていいテーブルもあって、その辺も凄く気に入っておりました。上階層の床がカーペットと言うのもポイントが高かったですね。さらに空中廊下を始めとする『展望フロア』のつくりも、田舎者には衝撃的で本当に好きでしたね。未来少年コナンのインダストリアと言った感じというか・・・ラナはどこだってね。

 

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さらにここは新兼荘と違って冷暖房完備・・・ まあ当たり前の話ですが、それゆえに自宅よりも遥かに居心地が良かったですね(新兼荘の夏はパチンコ店の駐車場のワゴン車内並)。ビルの下階層には薬局、マック、書店、CDショップがありましたし、トイレも綺麗で、本当にに至れり尽せりの場所だったのです(これで風呂があれば最高だったんだけど)。

 

そんなわけで、ある意味「居間代わり」という印象のあったNSビルですが(実際、来客があると家に行く前に必ず寄った)、僕がちゃんとお金を落とすお店もあったのです。

 

それは和風喫茶「風月」なのであります。ここには「風月いそべ」というカルトメニューがあって(展望フロアの飲食物で最安)、それは海苔巻風の磯辺焼でチーズと野沢菜が具になっているものでした。んで、さらにそれの『紅茶セット』と言う意味不明さなんですね・・・そんな奇妙なもの一つ頼んで、僕は仲間とともに3時間は粘ったものでした。

 

30階建てという微妙な高さがもたらす不思議な暖かさ。いつもより優しく見える新宿駅。そんな眼下の光景に涙をこぼす友人もいましたね。みんな気付いても見ないふり。 やっぱりなんだかんだ言って不安な時期でしたし、その気持ちはお互いに痛いほどわかりましたから・・・。

 

NSビル。今は風月も含めたお店はほとんど変わってしまい、店から見えた夜景も他のビルに遮断されてしまいました。そして何より、あの展望フロアが10年前に閉鎖されてしまったのです。

 

失われてしまったもの。二度と戻らぬ光。あの日の涙。

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