ころまろ☆辛口エンタメ塾

毒舌ネットコメンテーターのサブカル話。たまに愛。

【イカ天ブーム】令和元年に語る平成元年の今頃の話9『原宿発24時』

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※ここは常に30年前の話をするスレッドです

 

 

原宿まで歩いていける

 

 

 

時は平成元年。1989年春。

芸大を目指し上京して美術系の受験勉強をしていた僕ですが、 ある日気がついた事がありました。

「家から原宿まで歩いていけるじゃん!」 (すでに「じゃん」)

そう、新兼荘から表通りに出ると、そこはすでに西参道口なのです。そのまま明治神宮沿いに1000mほど歩けば、そこはもう原宿ホコ天の反対側なのでした。

当時の田舎の若者(要するに僕)にとって「原宿」といえば、それはもう嬉し恥ずかし憧れのメッカなのであります。目指せラフォーレ。目指せハナエモリ。当然、ドキドキしながら原宿に向かった僕なのでありました。

 

 

タレントショップ

 

竹下通りについた僕が見たものは・・・それは所狭しと立ち並ぶ実にチープな『タレントショップ』と、それに群がる『どう見てもネイティブな東京人ではない若者達』の洪水なのでありました。

 

もう「北野印度カレー」だ「マーシーズ」だ「カトちゃの店」だ「ピンクバス」だと・・・ 一目でがっかりです。

 

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「これは俺の憧れた東京じゃない・・・」
「恥を知れ!田舎ものども!」
「おしゃれなカフェバーはどこにあるんだ!(そもそも竹下通りにあるわけない)

 

そんなわけで僕は人波にもまれながら

 

「確かに俺も少し前までは田舎者だったじゃん。でも今はさあ、歩いてここに来てるんじゃんよ!」

 

という、訳の解らぬ選民意識で周りを睨みつけているのでありました。うん、ほんと恥ずかしい限りですな。

 

バンドファッション

 

そしてこの時、原宿を埋め尽くしていたタレントショップ。実はこれは半年もすると『バンド系ファッションショップ』に変化していったのです。その移り変わりの速さこそが、まさに流行の体現であるのでしょう。そしてそれこそが原宿という街の本質なのかなと今にして思ったりしています。

 

dot.asahi.com

 

先日、僕は娘たちの付き添いで久々に竹下(タピオカ)通りに行ったのですが、あの『ブティックTAKENOKO』が未だに健在でびっくりしました。それもまんま80年代初頭の雰囲気でありまして、思わずタピオカの黒餅を吹きそうになりました。はい。

 

 

イカ天ブーム

 

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入試の頃から気になっていたイカ天は、すでにブームに火がついておりました。

イカ天とは『三宅裕司のいかすバンド天国』という番組の事でありまして、これは毎週10組のアマチュアバンドが演奏を披露し、そこで選ばれた『イカ天キング』が、その後、五週勝ち抜いたら『グランドイカ天キング』となり、メジャーデビューへの道が開けるという番組でした。

 

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当時は原宿の代々木公園の前の歩行者天国でありまして、そこではアマチュアバンドの路上ライブが盛り上がっておりました。あの懐かしの「竹の子族」に続く『原宿ホコ天発のムーブメント』というものが、このイカ天ブームの根幹となっておりました。

 

その後、弟の上京時などに、僕もわざわざホコ天を観に行ったのですが・・・もうその頃となると何もかもが飽和状態。下手くそバンドのタテノリ爆音合戦で、とても演奏を聴けたものではありませんでした。僕が観たかった人気バンド達は、そんなホコ天の現状を批判して、すでにライブハウスへと活動の場を移していました。

 

でもそういう現場の状況はとにかく、このバンドブームの『時代の勢い』っていうのは嫌いじゃなかったのですね。そしてバンドに情熱を燃やす連中に、美術の道を目指していた僕はかなりのシンパシーを感じておりました。

 

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バブルの世の(見せかけの)余裕というものは、様々な夢と、それを追い求める人を包み込んでいました。当時の日本には、レジで『あんた一体どんなヘビメタ虎の穴?』みたいなルックスの人がバイトをして、バンドをやりながら生きていける経済の厚さがありました。そしてその根底には 『日本の未来に対する楽観』 があったのです・・・。

 

 

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