コロマリズム

売れない彫刻家のサブカル自慢話

【都市生活の現実】令和元年に語る平成元年の今頃の話12

スポンサーリンク

※ここは常に30年前の話をするスレッドです

30年前の上京前の妄想

 

定期テスト中の娘に、ちょちょいと解らないところ教えたやったあと「ちょっと待て!大事な話がある」と呼び止めて、

 

「パパは福島に居た頃、上京したら休日は朝市にバケットを買いに行って、それで出窓付きの陽当たりの良い白いシーツまみれの部屋で待っているソフィーマルソーみたいな女の子とブランチを食べて、そのあとコインランドリーで一緒に洗濯するのが夢だったんだよ。どうだ?とってもいいだろ?」

 

f:id:koromaro:20200322185313j:plain

 

と動画付きで説明してやると、

 


ハートカクテル放送当時のCM vol.1

 

「ばかなの?なんなの?こっちは忙しいの!!」

と、怒って出て行ってしまいました。全くもう、反抗期は難しいわい。ちぇっ。

 

 

物価が高かった

 

そんなわけで、上京前はそんな妄想をしていた僕ですが、実際に上京すると現実はやはりそんなスイートなものではありませんでした。

 

今と違って全てのものがそれなりの値段がしていた時代です。食費というものは家計をすぐに圧迫していきました(今の激安スーパーとかあの時代にあったらほんとに良かったのに)。朝市なんて本当に夢のまた夢の世界であり、そもそも西新宿という東京砂漠においては(特に休日に)食料そのものを確保するのも一苦労だったのです。まさにバケットじゃなくパンの耳という風情。一人食料戦争です。

 

f:id:koromaro:20200322185541j:plain

 

新兼荘には洗濯機も洗濯物を干すスペースもありませんでしたので、良の湯のコインランドリーにお世話になっていました。写真は実際に当時僕が通っていたコインランドリーなのですが・・・僕が憧れたサムタイムライトのCMと比べてどーですか・・・まさにこれが現実なのでありました。

 

母の上京

 

そんなある日の休日、母親が抜き打ちで訪ねてきました。そうです。新兼荘には当然電話が無かったので、訪ねてくる人はいつも突然だったのです。

 

母親は散らかりまくった僕の部屋に呆れ果て、えいやと大掃除を始めました。そしてコインランドリーに連れていけというのです。しぶしぶ一緒に行って洗濯をしたのですが・・・僕はカジュアルな彼女とおしゃれにコインランドるのが夢だったのに・・・なんという皮肉なのでしょう。母親は良し湯のおばさんにも東北弁で声をかけ、何だか和気あいあいとしています。僕はこの現実というものが、もう恥ずかしくて仕方ありませんでした。

 

f:id:koromaro:20200322185639j:plain

 

その後母親は予備校に連れていけと言います。「日曜日は高校生の日だから行きたくないよう」とごねても無駄です。「事務所に挨拶に行く」という母親を必死に説得して、裏口から彫刻科のアトリエを見せてやりました。さらには大石膏室に連れて行きますと、母親はそのゴージャスさに感激しておりました。

 

奇跡的なことに、ここまで誰にも出くわしておりません。そして帰りは『裏口から選外作品を搬出する』ように、実に慎重に、さらには誰にも見つからないように出て行ったのです。

 

アメ横で「ぼくちゃん」扱い

 

その後、母親は「あまりにも汚い服だから何か買ってやる」と言い出しました。しかしながら上京初心者の僕には、洋服を買うお店の当てがありません。仕方ないので夏期講習でハマちゃんに教えてもらったアメ横に母親を連れて行きました。これがやはりまた悪手でして・・・

 

「お兄ちゃん!おふくろさんを東京案内とは偉いねえ~」
「ぼくちゃん!今日は何かいいもの買ってもらったのかい?」

 

アメ横のおやじたちは面白がって僕を茶化すのです。自称『都市生活者』のプライドが木っ端みじんになった僕は急いで立ち去ろうとするも、母親は干物屋のオマケ攻勢に心を奪われ、なかなか動いてくれません。

『そんなものに引っかかるのは田舎者だけだよ!』

という熱い心の叫びも届かず、生き地獄のような時がまだまだ続くのでした。

 

 

今にしてわかる親の有難み


そんなわけで・・・当時の日記を見ると、

『なんでこんなに親を恥ずかしがっているのだろう?』

という疑問が素直に湧いてきます。

 

全く持って子供というものはけしからんもんですね。

親の長話くらい素直に聞けと言いたいです。はい。

 

 

TOP