ころまろ☆辛口エンタメ塾

毒舌ネットコメンテーターのサブカル話。たまに愛。

「大仁田FMWを旗揚げ」令和元年に語る平成元年の今頃の話25「居候の居候」

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※ここは常に30年前の話をするカテゴリイです

 

久々の30年前話です。30年前の今頃、僕は美大志望の浪人生として上京し、新宿のボロアパート『新兼荘』で一人住まいを始めました。そんな中で様々なトラブルに襲われつつも、次第に都会に馴染んでいき、そして仲間も増えていったのです。

 

 

盲腸で入院

 

夏期講習中に盲腸になり、大久保のヤブ病院に入院しました。当然大部屋です。そしてさすがの土地柄と言いますか・・・そこはアウトローの巣窟だったのです。

今と違って間仕切りも無い時代ですから、プライバシーなんてものはないわけです。全身包帯だらけで殺伐とした話を、それも実に楽し気に話す皆さんに、僕は心底ビビりつつも、「おにいちゃん」と呼ばれ可愛がられてもいたのです。

 


林檎殺人事件(郷ひろみ、樹木希林)

 

その大部屋を「おばちゃん」とよばれる樹木希林似の、おそらく韓国系の、実にけたたましいおばさんが仕切っておりました。強面の方々も誰も逆らいません。その人は正式な看護資格を持っているわけではなさそうでしたが、ほとんど同様の事をしており、この僕も大変お世話になったのです。だから退院の際にはグッとくるものがありましたね。

 

 

大仁田厚がFMWを立ち上げる

 

ある日、暇を持て余した僕は、パジャマとスリッパのまま病院を抜け出し、本屋を求めてさまよいました。ようやく辿り着いた書店でお目当ての「週刊プロレス」を手に取ります。そこには

 

「大仁田厚の新団体旗揚げ会見に空手家が乱入」

 

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という記事が載っておりました。彼は膝の大怪我でプロレスを引退したのちも、その業界界隈を、まるで捨て犬のように惨めったらしくうろついておりましたので、

 

『もはやどこにも相手にされないから大仁田は自分で団体を旗揚げしたのか。とはいえ対戦してくれるプロレスラーすらいないようだし、これはすぐに潰れるだろうな』

 

と僕は思いました。

実際、その記事も「まあ仕方ないので載せてやるか」という雰囲気でしたので・・・まさかそのわずか一年後に、彼が『邪道のカリスマ』として大ブレイクを果たすなんて、その時は本当に夢にも思いませんでしたね。

 

 

盲腸で苦労する

 

というわけで、読みたかったプロレス雑誌を読破しテンションが上がってしまっ僕は、どうやら傷口が少し開いてしまったようでした、

「これはやばい・・・」

と、なんとか病院に戻ろうとしましたが、交差点の手前で遂に動けなくなってしまいました。

 

『パジャマ姿で腹を押さえて必死に痛みに耐える僕』

 

ですが、どうやら大久保の路上では、そんな光景はありふれたものだったらしく、誰にも興味を持ってもらえませんでした。

痛みの波が引くまで待って、ようやく病室にたどり着いた僕ですが、樹木希林似のおばさんにしこたま怒られ、リリーフランキー似の医師からは「これは傷跡残るね」とも言われ、もう本当に散々でした。はい。

 

 

居候の居候

 

ようやく退院して新兼荘に戻ると、居候が福島から新たな居候を呼びつけておりました。夏休みの東京旅行とのことで、実にニコニコ愛想のいい男でした。

 

「おう、よく来たね。のんびりしてね」
「はい、有難うございます」
「ちなみに一番何がしたいの?」
「はい、森口博子のお宝写真集を買いたいんです」
「じぇじぇじぇ!」

 

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僕はそんなしょーもない理由で上京してきた「居候の居候」に呆れつつ・・・実はなんとなく同族の匂いもしましたので、

 

「それなら神田の書泉ブックマートに行くといいよ。『書泉』とかいて『しょせん』。『しょいずみ』じゃないからお間違いなく」

 

と、丁寧に教えてあげました。

 

そういえば当時は、この「森口博子」や「井森美幸」など売れなかったアイドルが、「バラドル」として再ブレイクしている時期でもありました。

 

まあブームだし、そんなに長くは続かないだろうと思っていましたが、いまだに二人とも現役で、なおかつあんまりイメージが変わっていないというのも、なかなか凄い事だと思います。

 

 

 

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