ころまろ☆辛口エンタメ塾

毒舌ネットコメンテーターのサブカル話。たまに愛。

「ミスドのピロシキ&タンドリーカレー」令和元年に語る平成元年の今頃の話34「イケメン登場と家の灯り」

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※ここは常に30年前の話をするカテゴリイです

 

令和元年に語る平成元年のお話です。30年前の今頃、僕は新宿で独り暮らしをする浪人生で、いよいよ受験シーズンが近づいてきておりました。

 

 

晩秋の独り身の寂しさ

 
というわけで、初めての都会暮らしもウィンターシーズン・・・つまり受験期になってきました。参考までにこの時期のCMをどうぞ。


1989年11月頃のCM November, 1989 TV commercial in Japan

 

しかしながらエンジンは全くかかっておらず、日々、ジムモリソン男やサトーたちと遊び惚けておりました。さらにはほぼ毎週末、歌舞伎町へ遊びに行き、そこでは刹那的ではありますが、なかなか楽しい思いもしておりました。

 

しかしながら寂しい事に、僕にだけちゃんとした恋人がいなかったのです(ジムモリソン男は3人もいたのに)。

 

思い返せば、夏のはじめにはベイビーに袖にされ、その後、夏季講習で仲良くなったJKには、何回目かのデートをすっぽかされるという体たらく・・・一期一会ではない、いわゆるステディ(死語)な男女関係というものを、当時僕は構築できておりませんでした。

 

そんな僕が初めて感じる都会の晩秋の風と言うものは、そこがビル街であるために、余計に身に染みていたというか・・・独り身の侘しさを実感していたわけです。

 

 

「幼い女城主」

 

 当時は映画の影響もあり「カミーユ・クローデル」の人気が高かったのです。彼女に関するいくつかの書籍も出版され、前年の展覧会の画集なども増刷して刊行されておりました。その中のいくつかの作品は僕の心の深いところまで届いていきまして、制作意欲というものを大いに湧き立たせていたのです。(まあその前に受験勉強をまじめにやれよという話ですが)

 

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そんなある日、僕は予備校のロビーで気になる女の子を発見しました。ベリーショートの男のコのようなルックスの小柄な子で、何よりも目を引いたのは、そのナチュラルな「困った顔」でした。その子はこれまでに見たこともないような「困り顔のボーイッシュガール」だったのです。

 

その顔は僕にカミーユクローデルの「幼い女城主」を連想させました。そして「作りたい顔に出会う → 惚れる」といういつぞやの王道パターンを繰り返してしまったわけですね。

 

 

芸デというもの

 

その子は周りから「キマちゃん」と呼ばれており、「芸大系デザインコース」の生徒でした。

 

当時の僕にはサトーをはじめ「私大系デザイン」(私デ)の友人は沢山いたのですが、「芸大系デザイン」(芸デ)に知り合いはいませんでした。

 

芸デは油絵と並び、美大進学科の中でも少し特殊なところでありました。受験倍率は「実倍率」で50倍オーバーであり、そうあるがゆえに多浪も多く、良くも悪くも軽くない・・・正直、なんか近寄りがたいという感じがありまして、僕にはコネが全くなかったのです。

とはいえ、キマちゃんにお近づきになるには、手っ取り早く「芸デ」の知り合いを作らなければなりません。その時、僕の頭にある男の顔が浮かびました。

 

 

イケメン

 

芸大系デザインの連中のたまり場には、一際目立つ男がいました。一目瞭然、説明不要の目立っちぷりなのです。その男は、たとえ名前は知らなくても、顔は誰でも知っているほどのイケメンだったのです。あの頃の僕らが文句なしに認めるほどですから、ほんとマジイケメンでした。

 

「どうせならあのイケメンと仲良くなろう」

 

僕は手下(?)のJK「キクチ」を使い、イケメンと接触を図りました。そして意外とあっけなく友達になったのです。

 

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イケメンはミズキと言いました。彼は顔だけではなく、苗字も名前もカッコよく、飾らない性格も抜群で誰からも愛されておりました。さらにはファッションセンスも良く、渋いレアジッポを所有し、家には巨大水槽があり、高校時代にはサッカー部で、おまけにパチンコまでうまいので、予備校の不良界隈からも一目置かれておりました。

 

そして僕は彼と最初に話した時から、あのジムモリソン男やサトーなどと共通する「僕との相性の良さ」のようなものを感じました。案の定、僕も、そして癖の強い二人も、イケメンミズキとすぐ仲良くなりました。

 

「あれだけカッコいいのにイイやつなんだもんな」

 

僕は「度を超えたイケメンというのは人の緊張感を和らげるものなのだな」と感心しました。

 

 

ウェンディーズからミスドへ

 

僕は早速イケメンミズキに頼みました。

 

「キマちゃんと友達になりたいんだけど、なんとなく紹介してくれない?」

「いいよ。その代わり知り合いの子がミスドグッズ欲しがっているから、応募シール集めるの協力してよ」

 

 

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そんなのお安い御用なので、僕らはたまり場をウェンディーズからミスドに変えました。ウェンディーズの入っていた雑居ビルには飲み屋とゲーセンとパチンコ屋がありましたので、それをミスドに変えたことにより、僕らの生活はいくばかりか健全になりました。

 

ピロシキとタンドリーカレー

ミスタードーナツと言っても、それほど甘いものが式ではなかった当時の僕らは、ドーナツではなく、当時販売していた「ピロシキ」と「タンドリーカレー」なるものをよく買っていた気がします。そして当時(今もだけど)はコーヒーのお変わりが無料だったので、僕らは空気を読まずに長居をしていました。

 

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新兼荘は施錠せず

 

予備校から代々木駅方面だったウェンディーズと違い、ミスドは僕の家方面だったので、その後は歌舞伎町とかではなく、ビル街や僕の家で遊ぶことが多くなってきました(そもそもイケメンミズキに歌舞伎町は似合わなかった)。

 

そんなわけでこの時期になると、僕はもう新兼荘にカギすら掛けなくなり、常にだれかが遊びに来る・・・というより、新兼荘には常に誰かがいる家になっておりました。そう「誰かに会いたいのなら家に帰る」というあべこべぶりです。

 

とはいえ、僕は晩秋のビル街の寂しい家路を経て、おんぼろで崩壊寸前の新兼荘の階段を昇り、そこに灯りがともっているのを見ると、何だかほっとするような気持になっていたというのは偽わざる本音です。まあそこでキマちゃんがシチューでも作ってくれていたら最高だったんですけど(苦笑)。

 

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