ころまろ☆辛口エンタメ塾

毒舌ネットコメンテーターのサブカル話。たまに愛。

激太りor激痩せ ブライアン・オーサーコーチってどんな人?

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いよいよフィギュアスケートのグランプリファイナルが開幕しますね。羽生結弦選手とネイサン・チェン選手が遂に直接対決です。

羽生選手が怪我で欠場している間に、チェン柄選手はグランプリファイナルを2連覇し、さらに世界選手権も制してノリにノっております。それに対する羽生選手も、今年度からの新採点基準への適応に絶対に自信を持っているようなので(今シーズンの最高点を保持)、王座奪還にかなり期待が持てるところです。今から競技が楽しみですね。

 

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©2019コロマロ


羽生選手と言えばチームブライアンの一員です。リーダーはカナダ出身のブライアン・オーサー氏です。ブライアン・オーサー氏と言うと、大体の人は

「あー、あのキスクラで結弦くんの隣に座ってるプーさんのパパみたいな人ね」

と言う印象でしょうね。いつもニコニコと羽生選手を見守っている優しそうな小太りのおじさん、、、まああの姿を見れば、その印象は見たままですし、そう思われてしまうのは無理もない話なのですが、、、

でもオーサー氏の昔を知るコロマロからすると、今のオーサー氏の姿というものは、なんというか「使用前の姿」のように見えてしまうのです。それはなぜなのか?

そんなわけで今日はオーサーコーチについて語っていきますね。

目次

 

五輪史上初のトリプルアクセル


僕がオーサー氏のことを初めて知ったのは、1984年のサラエボオリンピックの時でした。ある程度の年齢の方ならば「黒岩彰選手が惨敗したオリンピック」と聞けば思い出していだだけるかと思います。

 

共産圏で初めて行われたこの五輪において、カナダ代表としてフィギュアスケートの男子シングルに挑んだオーサー氏。当時アンチアメリカだった僕は、優勝候補の彼に肩入れして競技を観ることにしたのです。 

そしてオーサー氏はその期待に見事に応えてくれました。オリンピック史上初のトリプルアクセルを見事に決めて、男子シングルのOP(今のSP)とLP(今のFP)の1位を獲得したのでした。

 


Brian Orser - 1984 Winter Olympics FS

 

そんなわけで当然金メダル、、、のはずが、そうはならなかったのです。

 

当時のフィギュアスケートには「コンパルソリー(CF)」という規定種目がありました。これは競技初日に行われるもので、スケートのブレードで氷上に図面を描くという地味な種目だったのです(ちなみにあの伊藤みどりさんはこの種目が大の苦手でした)。そしてなんとも恐ろしいことに、この種目の順位点はOPやLPと全く同格に扱われていたのです。

 

すっかりフラグが立ちましたね・・・案の定と言いますか、このサラエボ五輪の際にオーサー氏はCFで大失敗をしてしまいます。優勝候補だったはずが、なんと7位と出遅れてしまいました。結果、優勝したのはアメリカのスコット・ハミルトン選手でした。猛追及ばずオーサー氏は銀メダルに終わってしまったのです。

 

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二人のブライアン

 

サラエボ五輪においては銀メダルに終わったオーサー氏でしたが、当時23才でした。年齢的に考えても、まだまだ次の五輪を狙える年でありました。しかも次回の五輪の開催国はオーサー氏の地元カナダのカルガリーであったのです。

 

オーサー氏は五輪を目指し現役を続行します。そしてそんな彼に対して新たなライバルとして浮上してきたのはアメリカ人のブライアン・ボイタノ選手でした。

ファーストネームが同じブライアンだったので、この両者の対決はブライアン対決と呼ばれ大変な人気を呼びました。

 

1986年の世界選手はボイタノ選手が制し、1987年はオーサー氏が雪辱。一勝一敗で互いに譲らず。いよいよ二人の決着は1988年のカルガリーオリンピックに持ち越されました。

 

カルガリー五輪

 いよいよカルガリー五輪です。オーサー氏は苦手のCFをうまく切り抜け、全体1位でLPに向かいます。一方のボイタノ選手はオーサー氏に次ぐ全体2位と、こちらも全く譲りません。

 

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いよいよ運命のLPです。ここでボイタノ選手が、まさに五輪史上に残るパーフェクトな名演技を披露したのです。演目である「ナポレオン」が乗り移ったかのような、本当に凄い演技でした。

 


Brian Boitano (USA) - 1988 Calgary, Figure Skating, Men's Long Program

 ↑Youtubeに飛べば視れます。全てのフィギュアスケートファンに視てもらいたい本当に素晴らしい演技です。

 

続いて登場した赤い衣装を着たオーサー氏は、地元の満員の応援を受け、ほぼノーミスで滑り切ります。金メダルを確信して大喜びするオーサー陣営・・・しかし・・・

 


Brian Orser 88 Olympics LP

 

 

結果、ボイタノ選手がわずかな差で逆転優勝。オーサー氏はまたしてもアメリカ人選手に敗れ、現役最後&地元開催の五輪を、銀メダルで終える事になりました。

 

 

The story of my life

 

2大会連続の銀メダルと残念な結果に終わったオーサー氏でしたが、僕が一番印象に残っているのは、このカルガリー五輪のエキシビジョンで見せた「The story of my life」の演技なのです。


ブライアン・オーサー/1988 カルガリー五輪 エキシビション

↑Youtubeに飛べば視れます。絶対に視てください。人生観が変わります↑

 

 

一筋のスポットライトと、まばゆいばかりのフラッシュの中で行われた演技は、まさにオーサー氏の人生を体現するかのような素晴らしいものでありました。そしてそれは、それを見た誰かの心を動かすには十分のものだったのです。

コロマロも事あるごとにその演技のVTRを取り出してきて、自分自身の「美の音叉」の一つとして、素晴らしい演技を長きにわたり視続けてきました。そのためオーサーの姿というものは、いつまでもフレッシュなままにコロマロの心に残り続けたのです。

 

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スキャンダルを乗り越え名コーチに


1988年シーズンを最後にオーサー氏は引退し、プロスケーターに転向しました。その後、オーサー氏が世界的に話題になったのは、その10年後の1998年の事でした。オーサー氏は元恋人のトラブルから訴えられ、同性愛者であることを暴露されたのです。

それに対し、オーサー氏は自分がそうである事を公表し周囲に理解を求めました。1998年は既に様々な価値観が認められる時代になっていました。オーサー氏は振付師→コーチ業とスケートの世界でも復権していきます。

そして2009年の世界選手権でキムヨナのコーチとして表舞台に登場します。

 

僕はその時、かなり久々にオーサー氏の姿を見て、そのあまりの激太りぶりに本当にびっくりしたのでありました。「確かに言われてみればあのオーサー氏だが・・・しかし・・・何かが決定的に間違っている」と。

その後のコーチとしての活躍は皆さんの方がご存じですよね。オーサー氏はコーチとして「バンクーバー五輪のキムヨナ選手」「ソチ五輪の羽生選手」そして「平昌五輪の羽生選手」と、五輪金メダルの3連覇を達成します。

 

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自分自身が五輪の銀メダル2つでしたから、オーサー氏にとってこの3連覇というものは、もう何物にも代えがたいような格別な感慨があった事でしょうね。


そんなわけでつい長くなってしまいました・・・

これからのオーサーコーチのますますの御活躍を祈っております。そして羽生選手を支え続けてあげてくださいね。よろしくお願いします。

そしてどんなに時が流れようとも。

どんなに人が変わろうとも。

あの日のオーサー氏の素晴らしい演技は、いつまでも変わらず、この僕の心の音叉であり続ける事でしょう。

 

 


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