コロマリズム サブカルチャー&ダイエット

ダイエッター&スカラプターのコロマロです。この雑記系ブログで、芸能ネタやダイエットや自慢話を語りながら、彫刻しつつ、皆さんのお越しをお待ちしております。ちなみにアルバルク東京のファンであったりします。

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令和2年に語る平成2年の今頃の話 その5 「受験期突入と広瀬くん」東大に入ろうね会

※ここは常に30年前のお話をするカテゴリーです。

 


平成元年の春に上京し、新宿のボロアパート「新兼荘」で暮らしつつ、東京芸大を目指し予備校生活を始めたコロマロ(以下「僕」)は、平成2年に入り、いよいよ受験期に突入しました。

 

「30年前の大学受験」。それは今よりも大学が少ない割に、第二次ベビーブーム期突入期で、生徒数が倍近くあったという話なのですな。当然、競争は激しく、受験は過酷なものでした。

 

さらに言えば「浪人生」というものに至っては、今の10倍(!)いたというデータがあるのです・・・いやはや・・・まあ僕もその一人にカウントされていたわけですが・・・

 

そんなわけで、言い訳がましい前提を長々と書きましたが(苦笑)、ここであの頃の受験期の話をしたいと思います。

 

 

 

 

◆願書を一緒に出そうぜ作戦

 

当時の僕にはドアーズ好きの「ジムモリソン男」という親友がおりました。彼も僕と同じように美大を目指し、僕と一緒に美術系の予備校に通っておりました。

 

僕とジムモリソン男は「芸大、多摩美、武蔵美」の3校受験です。僕はそこでひとつ作戦をひらめきました。

 

「願書を一緒に出さないか? そうすれば受験番号がたぶん並びになるし、同じ部屋で実技の試験を出来たら、お互いに客観的なアドバイスができるじゃないか」

 

僕等は新宿郵便局に行き、窓口でそれぞれの願書を重ねて出しました。

 

そして過日・・・狙いは的中です。三つの大学とも、僕とジムモリソン男は受験番号が並びになったのです。そうです。僕等はちょっとしたアドバンテージをここで得ることが出来たのです。

 

「お前とは十分つるんだから、なるべく別の大学がいいな」
「わかってるよ。まあお互い芸大だったら仕方ないけどな」

 

そう言って僕らは笑い合いました。まさに「取らぬ狸の皮算用」という感じですが・・・その時の僕らには、やっぱりそれなりの覚悟はあったわけです。たとえ進む道は同じでも、お互いはお互いであるべきだろうと。

 

つづく

 

◆勉強して東大に入ろうね会

 

当時、ビートたけしの「天才たけしの元気が出るTV」というバラエティ番組で「勉強して東大に入ろうね会」という企画が行われておりました

 

(「サンプラザ中野のオールナイトニッポン」の「早稲ダービー」の丸パクリ)。

 

それはタイトルそのままの企画で、東大受験そのものをバラエティにしていたリアリティーショーだったのです。そしてそこで主役級の扱いだったのが「広瀬くん」という、ちょっとお間抜けな一浪の弄られキャラでした。

 

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当時「デッサンして芸大に入ろうね会」だった僕は、同い年で東大を目指す広瀬くんに対して、ちょっとしたシンパシーを感じていたのです。

 

 

それで広瀬くんの結果というと・・・広瀬くんは東大受験を失敗します。そして翌年、二浪で挑んだ受験も失敗に終わり(その時は模試で安全圏だったので、これは逆にサプライズだった)、最終的に彼は慶応義塾大学に進学しました。

 

それに対して「まあ慶応ならいいじゃないか」というのが最期の感想で、その後の彼のことなど気にも留めないでいたのですが・・・それから10年ほどしたある日、かの広瀬くんがスキー事故で亡くなったというニュースを目にしたのです。

 

知人、芸能人問わず、あの頃の(僕にとっての登場)人物がなくなったという報の痛み。それは青春の終わりを痛感させるられるような鋭い痛みであり、アラフィフになった今もなお、僕にぐっさりと突き刺さってくるのです。

 

30年という時の長さはやっぱりそれなりであって、その間には、広瀬くんのように(あるいは僕の何人かの友達のように)若くして亡くなっていった人がいます。その一方で、天寿を全うして幸せに亡くなっていった人もいるわけで、、、

 

うーん、なんだろうな?

 

これからはそういう覚悟みたいなものも、より必要になってくるのかなあって感じています。

 

やっぱりね。あまりにも時は流れたと。

 

つづく

 

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