コロマリズム サブカルチャー&ダイエット

ダイエッター&スカラプターのコロマロです。この雑記系ブログで、芸能ネタやダイエットや自慢話を語りながら、彫刻しつつ、皆さんのお越しをお待ちしております。ちなみにアルバルク東京のファンであったりします。

スポンサーリンク

令和2年に語る平成2年の今頃の話その10「再会の約束と当時の格闘技」

※ここは常に30年前の今頃の話をするカテゴリイです。

 

f:id:koromaro:20200211220636j:plain

 

 

さてさて、30年前の第一回センター試験で知り合った女の子は、僕と同じように芸大(音楽)を目指す女の子だった・・・という、前回の話の続きですね。

 

 

 

◆カフェ・ラ・アルタミル

 

電車は新宿駅に停車。二人はそのままに駅ビルの喫茶店に向いました。

鈍色に彩色されたガッタメラータの胸像が二人を見下ろす席。そこで僕は自分が彫刻家を目指すきっかけになった出来事を彼女に話しました。

 

「だからドビュッシーの【亜麻色の髪の乙女】を聴いているとさ。何だかこれは俺が形にしなくちゃいけないものだって、勝手に思ってしまうんだよね」

 

僕は若気の至りの勢いで、一気に語り終えます。

 

「そういうきっかけで芸術を始めた人に初めて会いました」

 

しばらくしてから彼女はそう答えました。

 

「ああ、でもまあ、きっかけなんて本当は何だっていいのさ。ロダンだろうが、ドビュッシーだろうが・・・たとえそれが大学センター試験だってさ・・・そこに愛さえあればね」

 

微笑を返す彼女。僕も表情が緩みます。

 

「一つ聞いていい?」
「何でしょうか?」

 

「君の名前は? うっかりまだ聞いてなかったよ」
「私の名前は・・・NONです」

 

予想外の彼女の答えにたじろぎます。でもやっぱりここは引く場面ではありません。

 

「じゃあ俺の名前はYESだな」僕は軽く十字を切ります。
「私は本当にNONですよ」

 

彼女はメモ用紙を取り出し、そこに自分の名前とアドレスを書きました。

 

「ああ、名前から来ているニックネームなんだね」

僕も引きちぎった問題用紙に、自分の名前と住所を書きました。

「独り暮らしで電話は無いんだよ。お恥ずかしながら」

 

ーーーーー

 

彼女は芸術高校に通う現役の高校生でした。

 

「2月3日に高校の卒業演奏会があるのですよ」

「それって俺が観に行ってもいいものなのかな?」
「はい、是非来てください」

 

僕等はそう約束してさよならしました。

 

つづく

 

◆マイクタイソンKO負け

f:id:koromaro:20200211220522j:plain

 

当時の格闘技の一大ニュースと言えば、東京ドームで行われたボクシングの三冠ヘビー級タイトルマッチで、あの無敵のマイク・タイソンが、かませ犬と思われたジェームズ・バスター・ダグラスに10ラウンドKO負けを喫したことでした。

僕はこの試合を仲間たちみんなと新兼荘で見ておりました。

「あー、タイソン負けちゃったよ!ちぇ!」

サトーに追い払ってもらったはずのジュンタ(新宿の巨人)が、みんなに疎まれながらも、なぜかこの日は部屋にいた記憶があります。そのジュンタのみならず、仲間はみんなタイソンの敗北に衝撃を受けておりました。

当時はとてつもなく無敵のタイソンでしたが、富と名声を得た彼は慢心し、本当にものの見事に坂道を転げ落ちていきましたね。

そしてアリもそうでしたが、いわゆる「とりまき」ってやつは本当に困ったもので(今の安倍応援団なんかもそのたぐい)、たとえそれが解っていても、「人間というものは自分を褒めてくれる人間に弱い」というものなのだなあと、この時、改めて思いました。

そういえば・・・ジュンタも良く僕を褒めていたなあ・・・

 

 

◆北尾光司プロレスデビュー

f:id:koromaro:20200211220540j:plain

現役の横綱でありながら『ちゃんこの味が不味い』という理由でプッツンし、止めに入った相撲部屋のおかみさんに怪我を負わせて、大相撲協会から追放された北尾は、その後「スポーツ冒険家」なるものに転身したのですが、そんな北尾をスカウトしたのが新日本プロレスだったのです。

そんなわけで30年前の新日本プロレスの東京ドーム大会で、北尾はプロレスデビューしました。しかしながら、これがもう本当にびっくりするくらいカッコ悪くて、ドームは失笑の渦となってしまいました。

(超受験期の滅茶苦茶忙しい時期に、これを観に行っている僕もどうかしているな)

最期は対戦相手のバンバン・ビガロが空気を読んで北尾に勝ちを譲ったのですが・・・そのあからさま振りと、北尾の勝利アピールの勘違いぶりにより、ドームは一転ブーイングの嵐になり、北尾は「帰れコール」のシャワーを浴びて退場していきました。

その後北尾は巡業先でもわがままを繰り返し、北尾の態度を叱責した現場責任者の長州に対して「民族差別的な侮辱発言」をして(信じがたいあほだね)また首になります。

その後、移籍した別のプロレス団体「SWS」の大会でもトラブルを起こし、北尾はマット会追放となったのでした。

ーーーーーー

実は長年「北尾はおかみさんに本当に手を挙げたのか?」というものが論争になっていたのですが、最近、SWSの大会で北尾と控室が一緒だった船木誠勝が、YOUTUBEにおいて

「北尾選手は問題行動を注意しに来たSWSの社長夫人に対して、『うるせえばばあ!』と怒鳴って椅子を投げつけていました」

と証言しているのですね。ですので相撲部屋の追放騒動も同様だったのだろうと僕は思いました。はい。

つづく

 

TOP