ころまろ☆昭和45年男

毒舌ネットコメンテーターのサブカル話。たまに愛。

【心の深さ】令和2年に語る平成2年の今頃の話その27

スポンサーリンク

※ここは常に30年前の話をするスレッドです

 

1990年。

桜の便りも聞かれる3月の穏やかな日。

僕とNONはいつ来ても静かな上野の森の木陰道を歩いていました。

 

 

 

芸大最終合格発表

 

いよいよ今日は芸大の最終合格発表の日です。
センター試験初回のゴタゴタにより、日本のあらゆる大学の合格発表で、おそらく一番最後の合格発表・・・まあ僕自身は、そこへ到達するまでもなく落ちてしまったわけですが・・・

 

とにもかくにも、以前からの約束どおり、僕はNONの試験結果の発表を、彼女と一緒に見に出かけたのでありました。

 

この時期は、世の中の殆どのが、とっくに新生活の準備に入っている頃なのです(というか、それも済んでのんびりしている時期)。でも僕ら二人は、たかだか二週間後の事も解らなかったという・・・それは春からのそれぞれの居場所はもちろんの事、僕ら二人自体がどうなっていくのか?それすら見えていなかったという・・・

 

 

『なんでだろうね?』
『何でこんなに待つんだろう?』

 

そして正直言えば僕は自分の気持ちが、少し前とは微妙に違う事に気がついていました。僕はは一体何に賭ければいいのだろうかという・・・なんだかこの一年の新宿暮らしが、僕からからある種の単純さを奪ってしまっていたような。そんな春の迷いでした。

 

上野公園の春

 

僕達は上野で電車を降り、例の電話がある文化会館を避け、不忍口から上野公園に入っていきました。似顔絵描きが腰を据える薄暗い階段をのぼり、上野の森の静かな木陰道を抜けてしまえば、一気に人々の音が戻ってきます。動物園に行き交う人たちの波と、空気を読まない鳩。急に走り出す子供と、それを制止する親の金切り声。延々と続く、上野のありふれた光景・・・

何はともあれ・・・

 

 

 

『明日の事なんて誰にも解らないんだから、

 あさってなんてもっと解んないだろ?

 だから、ありのまま、生きてる』

 

 

 

とりあえず、もうしばらくすれば未来の一つがはっきりします。そこからきっとまた何かが始まると。確かにそれだけは間違いない事でした。うん、前を向こう。僕は気持ち早足になりました。

 

 

いよいよ芸大に。

 

NONの希望でかなり時間をずらしてきたので、運命の発表からは1時間あまり経っていました。当然、結果が出がらし状態の掲示板の前は、遠目からでも実に閑散としている様子がわかりました。

 

(さてと・・・NONの番号はと・・・・・・)
(・・・参ったね。そういえば聞いてなかったよ)

 

と、僕が向いたその先に、既にNONの控えめかつ嬉しそうな笑顔があったのです。

 

「あった・・・私受かった」


上野の片隅に、一つ春がきました。

 

「おめでとう」
「ありがとう」

 

「半分は俺のお陰だな」 僕は冗談めかして言いました。
「ありがとう」 

 

嬉しそうにうつむくNONの様子を見ていますと、僕の心に素直に喜びが込み上げてきました。やっぱり合格とはいいものだなと。そしてあの一件以降、何だか煮え切らない自分というものが、急に馬鹿らしくもなってきたのでです。

 

そう、僕にはNONがいる。そしてたった今から、NONがいる場所が僕の目指す場所なんだと。そしてそこへ行けるよう頑張るのが今の自分のやるべきことだろうと・・・そんなの当たり前の事じゃないかと感じたのです。

 

春の日差しが柔らかく注ぎこみ、僕の心の凍えた部分を溶かしていきます。そしてそれは文化会館の公衆電話も、山手線の忌々しいチャイムも、何もかもを意識から遠のかせていったのです。

 

「二浪して絶対に芸大に受かってみせるよ」

 

僕は拳を握っってNONに言いました。

 

「一緒の学校で同じ時間を過ごせるように本気で頑張るよ。」

 

 

 渋谷へ

 

帰りは公園口から上野駅へ。

 

新宿へと向かう電車の中で、NONは渋谷に寄りたいと言いだしました。渋谷なんて珍しいなと思いましたが、もちろんそれに反対する理由などありません。そう言えばお腹も減ってきたしなと。僕たちは夕焼け空の渋谷に降り立ちました。

 

どうやら行き先ははっきりしているようです。NONはスクランブル交差点を超え、強烈な西日の中で道玄坂の方へと真っ直ぐ向かっていきました。

 

その真っ直ぐさに気押された僕は、何も言わずに後をついていきます。確かその先には、日本一有名なホテル街が広がっているはずです・・・が、とりあえずその心配はいらなそうでした。

 

NONが向かっていたのは、坂の途中にある楽器店でした。


そしてそこはよくある『町の楽器屋さん』じゃなく、まさに『楽器のショールーム』そのものでした。さすがは東京。そんなものがあるんだなと。そして当然そんなところに入るのは僕は初めてです。

 

(車のディーラーに似ているなあ・・・)

 

ガラス越しの一段下がったフロアがメインスペース。ここが日産のディーラーなら誇らしげにGTRを展示しているところですが・・・実際には、そこには高価そうなグランドピアノが一台おいてありました。

 

 

フロアに下りていくNON。

 

 

その場のルールなどわからぬ僕は壇の上に取り残されます。

ゆっくりとグランドピアノの前に立ち、そして椅子に座るNON。そのまま集中に入っていく・・・そう、あの演奏会の時と同様、フロアの空気が明らかに変っていきました。

 

そして・・・鍵盤におろされた指先から、あの旋律が開放されていったのです・・・

 

 

心の深さ

 


Camille Claudel

 

『だからドビュッシーの亜麻色の髪の乙女を聴いているとさ。何だかこれは俺が形にしなくちゃいけないものだって、勝手に思ってしまうんだよね』

 

『そういうきっかけで芸術を始めた人に初めて会いました』

 

初めて言葉を交わしたあの日の回想。

 

 

La fille aux cheveux de lin
クロード・ドビュッシー作「亜麻色の髪の乙女」

 

 

演奏するNON。その後ろにはガラス越しの渋谷の街並み。まばゆい陽光に目が眩む。

 

(この通りってこんなに綺麗だったっけ?)

 

光と音が空間ごと溶け込み、そして僕の心の一番深いところまで到達していきました。

自分でも知る事のなかった、心のとてもとても深い場所へと・・・

 

 

 

(知らなかったよ・・・心って、こんなにも深いんだ)

 

 

 

 

「課題曲そっちのけでこればかり練習してました」

 

演奏を終えたNONがそばに来て、こうつぶやくまで、僕は自分の内側に潜っていました。信じられないくらいに深くクリアな世界。それはあまりにも特別な体験でした。

 

「だからもし入学試験を失敗したら、半分はツノダさんのせいだって・・・」

 

ONが微笑みました。

 

「・・・凄い」
「なんて素晴らしいんだ」

 

僕はだいぶ時間をかけて、ようやくそれらの言葉を搾り出しました。そのボキャブラリーの貧困さというものに、自分に空しさすら覚えます。どうすればこの感動を伝えられるのだと。そうだ・・・たしか僕は・・・

 

『もう現実に戻らなければ』

 

僕は自身に問い掛けました。それでも僕の耳に渋谷の音が戻ってきたのは、まだだいぶ先の事でした。

 

 

 

f:id:koromaro:20200321021406j:plain

 

 

NSビルのエレべーター。

何も言わない二人だけの星振るステップ。見つめる先には三角ビルが不思議なパースできらめいていました。

 

静けさの中で僕は確信していました。
これから自分がやるべきことを。

 

誰もいない展望フロア。果てなく広がる光の粒子。
その真ん中に、明治神宮が深い海のように横たわっています。

 

「NON」

 

このときの僕は言葉を作ったりする気持ちが全くありませんでした。心の中の言葉をそのままNONに伝えようと思ったのです。

 

「さっきの亜麻色の髪の乙女。本当に素晴らしかった」
「人生で一番感動的な時間だった」

 

僕はつっかえながら何とか言葉を放ちます。
NONは少しうつむいて黙って聞いています。

 

「心の本当に深い部分まで音が溶け込んで行った・・・」
「こんなに自分の心が深いなんて、今まで知らなかったよ」

 

僕の胸の鼓動は、NONに聞こえてしまう程に高鳴りました。

 

「そして俺は大切なことを思い出したんだ・・・」

 

NONは僕の目を見ました。

 

「俺もNONにNONの心の深さを教えてあげたい」

 

僕もNONの目をしっかりと見つめました。

 

 

「俺がしたかったことはこれなんだってさ。忘れそうになっていたよ。俺は誰かを心から愛し、その愛を表現したかったって事をさ。あのロダンやカミ-ユ、そしてドビュッシーのようにね・・・それが俺が望むことだって、やっと思い出したんだ」

 

「そして俺の目標は芸大に行く事じゃなくて、自分の愛を形にする事なんだってさ、だからそのために作品を作る時間と空間を得ようって・・・だから上京して、だから愛する人・・・時間、空間・・・俺はもうとっくにそれを持っているじゃないかって・・・」

 

 

NONは瞬きもせず僕を見つめています。

 

 

「だから・・・俺はムサビに行くって決めたよ。自分のやるべき事がはっきりと解っていて、それが出来る環境があるってのに、何もまた一年待つことなんかないんだってね」

 

「そして今の俺は待てない。もう受験なんかに時間を取られない。NONに対する思いを、自分の全てを懸けて形にしたいんだ」

 

「一緒の学校に行けなくてごめんな。でも、俺には・・・俺たちには、もっと大事なものがあるって思い出したんだ。俺はさっきあの曲を聴いて目が覚めたよ」

 

 

僕は胸の中の言葉を全て放ちました。
そして何もかも吐き出してしまうと急に心細くなりました。

 

「いいかな?」

 

そう問いかける僕の声は震えていました。

その問いにNONは言葉では応えず、ただそっと身を寄せてきました。

 

「・・・私でいいのかな?」

 

NONは僕の胸に顔をうずめています。

 

 

「君以外創らないよ」

 

「・・・本当に?」

 

「たぶん、一生」

 

 

僕は背中に回す両手に力を込めました。

 

優しく・・・

 

華奢な体が壊れてしまわないように。

 

確かに・・・

 

NONがどこかに消えてしまわないように。

 

 

 

<ドビュッシーとクローデル編 おわり>

 

 

www.koromaro.com

www.koromaro.com

TOP