ころまろ☆辛口エンタメ塾

毒舌ネットコメンテーターのサブカル話。たまに愛。

【Youtubeで視る伝説のライブ&パフォーマンス集】その1

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閉塞感溢れる今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか? 風さわやかな良い季節の中、外に出て羽根を伸ばしたいところですが・・・ここはみんなで頑張りどきですね。耐えていきましょう。
 

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こんな状況ではひたすらYoutube三昧という方も多いかと思われます。そんなみなさまに、僕がお勧めするアーティストのベストライブ&ベストパフォーマンスをご紹介していきたいなと思っております。本当にどれもこれも伝説級の物凄さ! ではジャンジャン行きます。
 

「ラスト・ソング 山口百恵」1978年

 
ミュージックフェアでの山口百恵のパフォーマンスですね。大粒の涙を流しながら歌う姿が当時は大いに話題になりました。そして歌詞が
 
 
♪  最後のライトは 消さないで
 せめて拍手が 終るまで
 恋をすることさえも 許されないで
 歌い続けて行く私
 せめてこの歌を 貴方に
 せめてこの歌を 貴方に ♪
 
 
というものだったので、これを視た皆の頭には交際が噂された三浦友和の姿が思い浮かんだわけです。はい。当然と言えば当然で、その思いがこのシーンをより印象深いものにさせているのでした。
 
がしかし!
 
実はこれは山口百恵が最初からこうやって泣いて歌おうとしていたものだったんですな。簡単に言えば演技なのですよ。
 
そもそもこの歌の誕生のいきさつは
 
「お芝居では、泣いてことばが途切れがちになるってことありますね。あたし、そういう歌にめぐり合ったことがなかったんで、谷村さんに頼んで、書いていただいた」「詞が今のあたしの状態に近かった」
 
というものであり、この曲のレコーディングの時に谷村新司は、制作時のイメージ通り山口に『大泣きで歌唱』することを要求したそうなのです。それに対し現場責任者だった川瀬泰雄レコーディングディレクターは『普通の歌唱』を推したので、怒った谷村は退出してしまったと。
 
「川瀬さんの言うことも、谷村さんの言うこともわかるんだよね」という流れがあったうえでの、このミュージックフェアなのですな。山口百恵。当時19歳。やはりとてつもない天才でした。
 

「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー YMO」1979

 

 

 

 

ロサンゼルスのグリーク・シアターで行われたYMOのライブですね。ライブと言っても前座です。オープニングアクトです。当時はそれでも「有り得ない」というくらいに凄い事でした。

僕も小学生坊主ながら「何だかとんでもない事だ」と思っていましたね。まあ様々な意味において、アメリカ文化の有難みが薄れた今となっては、その感覚の方がむしろ信じられないのですが。

 

ミッキー吉野は「ゴダイゴの方が海外では遥かに売り上げていた」と言っておりますし、確かにワールドワイドではそうなのでしょうが・・・

 

YMOのこの曲や「ビハインド・ザ・マスク」はアメリカでも高く評価され、特に「ビハインド・ザ・マスク」なんかは、マイケルやクラプトンがカヴァーしているわけですからね。かなりの爪痕を残していたと思います。

 

僕は1980年以降のYMOよりも、この時期のYMOの方が好きなんですよ。だから映像もこういう劣化クオリティの方がいいです。スキースーツに人民帽。洗練されすぎないアヴァンギャルド。SE担当の松武氏がコンピューターを制御しきれていないところとかもいい感じですね。

 

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「ラフマニノフピアノ協奏曲3番 ホロビッツ」1978

 



ホロヴィッツのリアルタイムというと、1983年の来日公演を実家の家族(当時クラシック原理主義)が酷評していたことと、1987年のグラミー賞で嬉しそうにトロフィーを貰っていたことぐらいしか印象になかったのです。

 

ですので僕がちゃんとホロヴィッツの演奏を聴きだしたのは、自分自身が30を超えてから・・・つまりインターネットの時代になってからだったのですね。

 

この動画はホロヴィッツ75歳の時の動画です。

メーター率いるニューヨークフィルとの共演。

 

この年齢でクラシック屈指の難曲に挑みます。もはやミスタッチや出遅れなどどうでもいいのです。レジェンドがレジェンドであるためだけの演奏会。ひれ伏せ!この際、40分過ぎくらいからでもいいので是非ご視聴を。

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「言葉にできない オフコース」1982

 

 

オフコースの5人時代の最後のライブですね。この「ひまわり」の映像は実際にステージに投影されたもので、映画「ひまわり」の版権を一部買い取って使用したそうです。

 そこに表示される「We are 」「over」「Thank you」。この日は武道館10日間コンサートの最終日で、言うまでもなく解散のメッセージなのですが、「We are」の文字が表示されたのは最終日のみなんです。 

 

このコンサートそのものはアルバム「over」のツアーでありまして、ツアー中も「ひまわり」の映像と「over」「Thank you」のメッセージだけは表示されていたのです。

 

 そこに最終日に「We are」(これは「over」の前のアルバムタイトルでもあった)を付け加えることにより、噂されていた解散が事実で、首を垂れる無数のひまわりは「大きな感謝の現れ」だという事がファンに伝えられたと・・・ 

 

実に回りくどいですけどね(笑)。
でもこういう念入りに手がかかった回りくどさは嫌いじゃないです。ちなみにニコ動に完全版があります。曲の冒頭の小田さんの涙はそっちで視てくださいね

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「モータウン25周年記念ライブ ジャクソン5&マイケルジャクソン」1983

 

 

伝説のムーンウォーク初披露ですね。もともと10年に一人レヴェルの大スターだったマイケルが、100年に一人レヴェルの超スーパースターに駆け上がった伝説のステージです。

 

当時は完全にリアルタイムで、その成り上がりぶりを視ていましたが、この超ブレイクぶりというのは本当に凄かったですよ。世界中で話題になり、この日本でもみんな暇さえあれば「ポゥ!」とか叫びながら「あとずさり」をしておりました(本当)。こんなことはもうないでしょうね。

それでこの場で歌われた兄弟とのモータウンメドレーも、その後、マイケルが完全なソロになってもライブの定番になりました。

 

そう言えばこの時に、マイケルの衣装を見た兄弟は「白い靴下だけはダサいからやめようよ」と進言したそうですが、結局、亡くなるまでマイケルのトレードマークになりましたね。うん。

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「ダンスホール 尾崎豊」1984

 


『ダンスホール』:尾崎豊 / RUIDO

 

新宿ルイードで行われた伝説のデビューライブです。自身が直前に中退した青山学院高等部の、その卒業式当日に行われたものですね。

 

ダンスホールは1982年の「新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件」がモチーフになっている曲です。それもあって僕の中で尾崎豊は渋谷(または埼玉県朝霞)というより、新宿のイメージが強いですね。

 

間奏部分でギターが怪しくなって、リードギターに目線がいってしまうあたりは、年相応のあどけなさも感じさせますが・・・やっぱり凄いなあと思います。そして不謹慎かもしれないですが、これは確かに長生き出来ないだろうなあとも・・・。

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「サウンドオブサイレンス サイモン&ガーファンクル」1981年

 



ニューヨークのセントラルパークに52万人(!)の観衆を集めて行われたチャリティーコンサート(セントラルパークの設備投資のためのもの)の様子です。名曲ですね。

 

これはS&Gの9年ぶりの再結成であり、日本でもNHKのニュース番組で特集が組まれたりして、大いに話題になりました。

 

クラシック原理主義の姉が、唯一持っていた洋楽のアルバムが彼等のものでしたので、僕もおりおり彼等の曲に触れておりました。ですので、このライブはかなり印象深いものになっております。

 

ただ一つ残念だった事は、彼等のもう一つの代表曲である「明日に架ける橋」が、 この時はアート・ガーファンクルのソロだったという事ですね。

 

1番=ガーファンクル
2番=サイモン
3番=ふたり

 

という定番パターンでやってほしかったなあと。
まあ色々あるんでしょうけどね。

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「今だから Sadistic Yuming Band with 小田和正 財津和夫」1985

 



 

国立競技場で行われた音楽イベント「All Together Now」でのステージですね。曲は正直今一つという感じがしないでもないですが、このメンバーは本当に凄いと思います。

 

バンマス 加藤和彦
ボーカル 松任谷由実、小田和正、財津和夫
ギター  高中正義
ベース  後藤次利
ドラムス 高橋幸宏
キーボード 坂本龍一 

 

ちなみにこのイベントはラジオが主体となって行われたものだったので、映像のオンエアは無かったのです(たぶん)。ですのでラジオを聴くしかなかったのですが、我が福島ではその番組が「平日昼」だったという話でして・・・僕が中学をサボった事は言うまでもないです。うん。僕のせいではないです。  

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「人間なんて 吉田拓郎」1975

 
1975年に行われた「吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋」の「人間なんて」ですね。
 
オールナイトコンサートのラストナンバーで、この曲で夜明けを迎えコンサートは終了しました。 これは「ウッドストック」に触発されて企画されたコンサートでありまして、当時の若者(未成年者多し)は何日も野宿してコンサートの開催を待っていたそうです。
 
そしてその入場者は「5万~7万人」という実にアバウトなものになっています。 当時は5歳なので、さすがにリアルタイムの記憶は無いのですが、「吉田拓郎のつま恋コンサート伝説」というのはリアルタイムなのですね。だからこういう話の場合は欠かせないものになっています。
 

「チャイコフスキーピアノ協奏曲第一番 ヴァン・クライバーン」1958

 



第1回チャイコフスキー国際コンクールで優勝した際の映像です。
 
超冷戦時代にモスクワで行われたこのコンクールは「スプートニク計画」での科学的勝利に続く「ソ連のソ連によるソ連のための芸術コンクール」なので在りました。 
当然そこではソ連人以外の、ましてやアメリカ人であるクライバーンが優勝するという選択肢はなかった・・・はずなのです。 
しかし、あのフルシチョフが認め、さらには審査員を務めたリヒテルが満点をつけたクライバーンの演奏というもの。これこそまさにの心に嘘をつかせない芸術の力ですね。
 
 
 その2に続く

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