ころまろ☆辛口エンタメ塾

毒舌ネットコメンテーターのサブカル話。たまに愛。

【Youtubeで視る伝説のライブ&パフォーマンス集】その2

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僕がお勧めするアーティストのベストライブ&ベストパフォーマンスをご紹介します・・・の2です。
 

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「1994 LABEL OF COMPLEX  BOØWY&吉川晃司 」

1986新宿の都有3号開き地(旧淀橋浄水場→現東京都庁舎)で行われたウォーターロックフェスでのBOØWY&吉川晃司のセッションですね。

 
他に大澤誉志幸、山下久美子、44マグナムが参加しておりまして、ご覧の通りのあいにくの大雨の中(台風!)、ビル街に爆音を響かせておりました。
 
70年代後半~80年代前半のニューミュージック(シティポップ)に続く形で盛り上がったのが80年代半ばのロックブームです。それは洋楽ブームというものを挟んだ形であったがゆえに、余計に尖った(&チープな)ものでしたし、やっぱりカッコよかったですね。
 

それでやっぱりこれも新宿なんですな。どんどん僕の憧れの街になっていきました。

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「DESIRE 中森明菜」 1986

 

 

松田聖子が休みの時期に一気にトップを獲った曲ですね。

この映像は夜ヒットでのDESIREの4回目です。明菜のこの曲のパフォーマンスの完成形です(実は日々進化していた)。加えてこの番組のディレクターは完璧主義で有名ですから、なんだか凄い事になってます。
 
そしてYOUTUBEの再生回数が凄い。オフィシャルでもない古い動画で2500万回再生という・・・時代を超越した彼女の頂点のパフォーマンスと言っても良いでしょうね。
 
デビュー時からセルフプロデュース能力に長けていた人で、
それゆえ売れてからは「過激な淑女」(YMO作曲)にダメ出しして「禁区」に変えさせたり・・・この「DESIRE」にしても、そもそもはカップリング曲だったのを、明菜自身が格上げさせたわけですからね。いやはや大したものです。
 
でもどこかで客観視というのは必要なわけで・・・
 
明菜にしろ尾崎にしろ吉川にしろ前田日明(?)にしろ、何もかも全部自分でやろうとする(もしくはイエスマンで固める)のはやめた方が良いし、実際問題、やめたほうが良かったですよね。でも全部自分でやりたがる。それはもうアーティストの本能で、仕方の無い事なのかもしれないですけれど。
 
 

バルセロナ フレディ・マーキュリー&モンセラート・カバリエ」1988

 



これは同年に「ソウル五輪」が終了したソウル市から、次回五輪開催都市であるバルセロナ市に「五輪旗」を引き継ぐイベントでのパフォーマンスです。
 
この曲はフレディの死の翌年に行われた「バルセロナ五輪」のテーマ曲になっています。
 
映画「ボヘミアンラプソディ」における「LIVEAID」のクイーンの描写は、僕にとってはリアルタイムであるがゆえにツッコミどころ満載なのですが・・・そしてむしろもっとツッコんでほしいところもあったのですが・・・まあ、あの形がメジャーというものだし、だからこそ映画は興行的成功を収めたのだと思います。

フレディは自分がHIVウィルスに感染していることを死の直前までメンバーにすら知らせていなかったのですが(でもまああえて言うまでの状況じゃなかったそうな)、この曲で共演したカバリエには知らせていたそうです。

それについてのカバリエの話です。

フレディを抱きしめようとすると彼は後ずさりをしました。「だめなんです。言わなくちゃいけないことがあります。僕はHIVに感染しているのです」

私はHIV患者でも元気にやっている人たちをたくさん知っていましたので、彼を抱きしめることが問題だとは思いませんでした。しかしフレディは「僕は重篤なAIDS患者なんです。あなたを危険にさらしたくない」と言いました。当時はAIDSという病気がどう感染するのかわかっていませんでしたし、皮膚や唾液経由で感染する可能性も考えられていたのです。「あなたはとてもそうには見えない」と私が言うと

「そう僕はまだ強い。このアルバム完成できます」と彼は言いました。私にとってその運命を受け入れるのはとても辛いことでした。でも彼は私よりもっと辛かったはずです。私はフレディが自分を信頼してくれたことがとても嬉しかったのです。そしてそれは彼も一緒だったはずです。
 
 
という話を頭に置いたうえで、この動画をご覧になると、あのボヘミアンラプソディの感動とはまた違った、リアルな想いが沸き上がるはずです。はい。
 
 
 

「大きな玉ねぎの下で 爆風スランプ」1985

 

 
爆風スランプの初の武道館ライブのアンコール曲ですね。

 

この年の春からサンプラザ中野のオールナイトニッポンが開始されました。まだ爆風スランプがコミックバンド路線の頃で、番組もなかなかやりたい放題で面白かったです。

 彼らは年末に日本武道館でライブをすることが決まっておりました。当時の武道館ライブの敷居はかなり高く、彼らがそこでライブするのは半分以上はシャレという感じでした。そんなわけで「どうせガラガラだから好きなように盛り上げよう」と、様々な企画も行われたのです。

 

そのうちアルバム「しあわせ」が発表となりました。その中に『武道館がガラガラだった時の言い訳ソング』として作られた「大きな玉ねぎの下で」が収録されていたのです。

当時のレコード会社の担当者の「爆数スランプをブレイクさせる」という意志はかなり強いものがあり、この曲に関してもワンフレーズごと厳しいチェックを受け、最後まで埋まらなかった一行(君のための席が冷たい)が出来たのは、レコーディング当日の朝の事だったそうです。

 

ちなみに作詞のサンプラザ中野曰く


「『実際のエピソードなんですか?』と何度も聞かれ『作り物です』と答えると、そのたびにがっかりされる曲」

とのことです。

 

それでオールナイトでこの曲が初めてオンエアされた際、件の武道館に合気道の錬成大会で行った事のある僕は「玉ねぎ=武道館の上についている変なもの」と直ぐに気が付きました。そして

 

「これが武道館ライブで流れたら相当感動的だろうな」
「もしかしたら満員になるかもしれないな」

 

と思ったものでした。

 

(そういや1989年に「遥かな思い」と副題が付いてリアレンジされたこの曲のシングルバージョンは全く良くなかったなあ。ほとんど変わっていないのに、そのわずかに変えたところが全然ダメだったという…)

 

結果的に武道館は超満員になっての…このシーンですね。これはサンプラザが曲名を言いかけて「気を付けて帰ってください」というあたりがとても良いですよね。うん。
 

 

ーーーーー

 

ピアノ担当として紹介された「江川ほーじん」は、現在交通事故により長期治療中との事です。早く良くなって欲しいものです。

 

 
 

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「ダンシング・クイーン  U2」1992

 

 

U2がストックホルムでライブを行った際に、スウェーデンが地元であるABBAの男性陣2人を招き、ステージで共演した映像です。実はボノはそれまで

 

「母親がずっと聴いていてウンザリしているバンド」
「21世紀にはとても存在し得ない音楽性」

 

などと、ABBAの事をけちょんけちょんにけなしていたのですね。まあそれはそうですね。社会派ロックバンド様ですから

 

 

♪ あなたはダンシングクイーン 
  ぴちぴちの17歳
  
  ダンシングクイーン 

  感じて
  タンバリンのビートをOh Yaer ♪

 

 

なんて歌を肯定できるわけはなかったのです・・・がしかし。案の定、ノは隠れABBAファンだったというオチなんですな(笑)。彼はこの場でそれまでの無礼を謝罪し、この後しばらく「ダンシングクイーン」は、彼等のライブのアンコールピースとなったのでした。

 

ここで思うのは隠れファンというもの。

僕も胸を張って「オフコースのファンだった」と言えるようになったのは30超えてからですし、さらには「尾崎豊のファンだった」と言えるようになったのは40過ぎてからでした。要は隠れファンなのです。

そして隠れファンを卒業すると(要はカミングアウトすると)、何だか裸になったような気持ちの良さもあるのです。

 

しかしながら…

 

「さだまさしのファンだった」とはまだ言えませんね…

 

きっと同じ年生まれの桜井和寿あたりも同じ段階だと思います。はい。もう墓場に持っていくしかないな。うん。

 

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「SUKIYAKI 坂本九」1963

 


kyu sakamoto with wife  Steve Allen show 坂本九

 

ビルボードで坂本九が日本人(というかアジア人)として初めて一位を獲得し、スティーブ・アレン・ショーに出演した時の映像です。この場合「上を向いて歩こう」ではなく「SUKIYAKI」ですね。

海外マーケティングなんてものが存在しないあの頃に、完全なる日本語楽曲で一位を取ってしまったのですから、これはもう楽曲の力というより他はないですね。凄い事だなあといまだに思います。

そう言えばなぜに海外で「SUKIYAKI」というタイトルになったのか? 実は坂本九がビルボードで一位を取る前年に、イギリスのジャズバンドがこの曲に感銘を受け、カバーバージョンを発売したのですね。その時にイギリスのレコード会社の社長が・・・という話は、案の定、また長くなるのでまた別の機会にします(笑)。


リーマンショックの時も東日本大震災の時も、自然発生的に浮かび上がってきた日本人のソウルソング。今回のコロナ禍でも様々なシーンで歌われているようですね。胸に染みます。

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「Sharing The World 初音ミク」2014

 

 

初音ミクがアメリカツアーの際に「デイヴィッド・レターマン・レイトショー」に出演した際の映像ですね。坂本九の全米制覇から50年。また別の形で日本文化が海外に進出しました。

 

最初に初音ミクが話題になった際に「またアキバのオタクがニッチに騒いでいるよ」と思ったものですが(失礼)、その後、このビジュアルイメージを見て「いや、これはメジャーになるかもな」と考えを改めたことを覚えています。

僕は美術系ですのでこれは何とも感覚的というか・・・このヤマハが生みだしたボカロのテクノロジー本体よりも、「名機DX-7」をモチーフにした初音ミクのビジュアルデザインそのものに、普遍性というか一般性というものを感じたのです。

 

その後のネオティニーブームと相合わさり、初音ミクというツール&素材は様々なクリエイターの創作に使われていきました。そのおかげで(言い切っていいと思う)米津玄師をはじめとした様々な才能が世に出ることが出来たという・・・まあそんな感じですね。

 

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「仮面舞踏会 少年隊」1986

 



 

ザ・ベストテンでのパフォーマンスですね。最後にヒガシの「ロンダードからの伸身後方宙返りからの2分の1ひねりドヤ顔」が見事に決まっていますね。

 

「仮面舞踏会」は少年隊のデビューシングルです。この時期のジャニーズ系は、マッチさんの売り上げが落ちてきた時期で、なおかつ先輩グループの「シブがき隊」が今一つパッとしないという微妙な状況だったのです。

 

そんな中で既に3人とも個々で知名度があった「少年隊」は、かなりの期待を背負ってデビューしました。それに対する回答がこの曲であり、なおかつこのパフォーマンスだったわけです。

 

当時の僕は既に高校生になろうかという時期でしたので、ジャニーズ系に対しては斜めな視点で見ていたのですが、それでも彼等のこういうパフォーマンスを目にして

「これは売れるだろうなあ」と思うのと同時に、「これはシブがき隊はお払い箱だな」と思ったものでした。はい。まあ本人たちもそう思ったみたいですが。

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「道成寺  坂東玉三郎 ジュルジュ・ドン」1988

 

 

「歌舞伎界のプリンス」坂東玉三郎と「伝説のダンサー」ジョルジュ・ドンの共演です。

 

もともとジョルジュドンの大ファンだった玉三郎が、1978年にモーリスベジャール(ボレロの振り付けをした凄い人)の仲介でドンを紹介してもらい、サインをもらったことから交流がスタートしたそうです。

 

それから10年経った1988年に、玉三郎がフランスで行われたベジャールの公演に参加し、その後、東京で玉三郎とドンの競演が実現したという流れなのですな。

 

ジョルジュ・ドンは1992年にエイズにて死去しました。
天才ダンサーの在りし日の雄姿は、数多く残された映像記録で視ることが出来ます。

 

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「島唄 THE BOOM アルフレッド・カセーロ」

 

 

2002年の日韓ワールドカップ。【サッカー日本代表が大阪でグループリーグ突破かけてチュニジアと対戦した試合】のパブリックビューイングの際のライブ映像ですね。

 

要はみんなでビジョンを視るだけなのに、あの大きな国立競技場が超満員ですよ。凄く盛り上がっていますね。

 

宮沢と一緒に歌っているカセーロはアルゼンチンの歌手で、ラジオで聴いたこの曲に感銘を受け、日本語のまま勝手にカヴァーしたら同国で大ヒット(この大会のアルゼンチン代表のテーマにもなった)してしまったそうです。その後、宮沢に無許可を謝罪した際に交流が生まれ、こういう事に相成ったというわけなんですな。

 

果たして東京五輪ではこういう盛り上がりがみられるでしょうか・・・というか来年、本当に開催できるのか・・

 

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