ころまろ☆昭和45年男

毒舌ネットコメンテーターのサブカル話。たまに愛。

【平成2年の今頃の話34】入学式に宮崎駿【ボイスとクーンズ】

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※ここは常に30年前の話をするカテゴリイです

 

30年前の今頃、僕は一浪したのち武蔵野美術大学に入学することになりました。

 

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入学式に宮崎駿

 

誰も知り合いのいない中、一人で入学式に向かった僕は、大学の構内でとても存在感のあるおじさんを見つけました。

 

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その既視感アリアリの有名人オーラをまとっているおじさん。それはあの宮崎駿だったのです。僕の頭にはハイジにコナンにナウシカ…そしてあのかけがえのないカリオストロの城の光景が思い浮かび、心はもうマックスに舞い上がりました。

 

 

しかしながら…僕は僕で難しい年ごろなのです。

 

『宮崎駿なんて、僕は割としょっちゅう見かけているよ』

 

と涼しい顔で素通りしたのでした。

 

実は宮崎氏の息子さん(吾郎氏の弟)が僕と同じ時期にムサビに入学したのでした。そして親子関係は良好だったようで、駿氏はその後もこと(学園祭や卒業制作展)あるごとに、ムサビに姿を見せていたのでした。

 

僕はそのたび『カリ城のビデオ&設定集』にサインを書いてもらいたい衝動に駆られましたが、なんとか我慢しました。難しい年ごろですから・・・

そう言えば他にもサインをねだっている人は誰もいなかったですね。僕と一緒で難しい年ごろだったのでしょう。たぶん。

 

 

ヨーゼフ・ボイスでしらける

 

入学式後に講師陣との顔合わせがありました。そこで「ヨーゼフ・ボイスとコンセプチャルアート」について熱く語る先生がおりました。

ヨーゼフ・ボイスとは「社会彫刻」を掲げた観念芸術界のスターだったのです。

 

joji.uplink.co.jp

 

 

んで、ここで突然、僕が中学二年生のころの話になるのですが…

 

【僕が彫刻を目指すことになったきっかけは、ロダンとカミーユとドビュッシーについて特集された芸術新潮を、中学校の美術教師(若い女性)からもらったこと】

 

なのです。

 

僕はこれで「彫刻家になる!」とあっさり決めてしまい、その日から勉強をほとんどしなくなってしまうのですが、もしそうではなく、ちゃんと勉・・・ではなく、

 

実はその芸術新潮に「ヨーゼフ・ボイス来日」の記事が載っていたのですね。その記事はというと・・・

 

「嗚呼ボイス 来てしまったらタダの人」

 

という強烈なアンチ記事だったのです。

 

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中二病時期の僕はそれを真に受けていましたので・・・

 

『ボイスごときを有難がるなんて大した先生じゃないな』

 

なんて思ってしまい、いきなり大学の先生をナメてしまうことになるのでした。

 

 

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ジェフ・クーンズでしらける

 

その後、授業が始まりまして、そこで僕は初めて『芸術の学科の授業』というものを受けたのです。

 

それは現代美術の授業だったのですが、そこで取り上げられたのはジェフクーンズの『マイケルジャクソンとバブルス』という巨大陶器の作品だったのです。マイケルが白人になっているキッチュな作品ですね。

 

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僕はその作品を前々から知っていて、さらには非常に不愉快に思っていたのですが、しかしながらその授業ではかなり肯定的に取り上げられたのです。僕は

 

『こんな差別主義者が教授だなんてくだらなすぎるな』

 

と、その後二年間、美術の学科の授業をサボ・・・ボイコットすることになったのです。

 

そんなわけで僕の大学生活に、いきなり暗雲が立ち込めたのでした。

 

 

つづく

 

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