ころまろ☆辛口エンタメ塾

毒舌ネットコメンテーターのサブカル話。たまに愛。

【平成2年の今頃の話35】浪漫飛行リバイバル【デザイン流れ&ナルちゃん】

スポンサーリンク

※ここは常に30年前の話をするカテゴリイです

 

30年前の今頃、僕は一浪したのちムサビに入学しました。

 

f:id:koromaro:20200426070016j:plain

 

 

年齢が幅広い

 

彫刻科の同学年は29人いました。年齢層を上げますと…

 

現役  6人
1浪  6人
2浪  6人
3郎  7人
4浪  1人
30代    1人
ダブり 2人(実質2浪)

 

これはもう美大ならではというか、かなり幅広いものですね。そして30人近く生徒がいたのに「僕と同い年の男」はたったの二人だったのです。そんな経験は今までなかったので、なかなか不思議な気持ちになりましたね。

 

 

Far East Cafe

 

f:id:koromaro:20200426064640j:plain

 

当時は小田和正が本格的にソロ活動を始めていた時期でした。 小田さんというとオフコースの解散からすぐに「ラブストーリーは突然に」が出た印象がありますが、実際には、このアルバムが挟まれているのです。

 

このアルバムはマイナーですが、本当に良いアルバムなので皆様にもおすすめですよ。ちなみに「Far East Cafe」は、現在南青山にある小田さんのアンテナショップの名前にもなっています。

 

www.fareastcafe.co.jp

 

あの頃、大学のある鷹の台の商店街に、小さなレコードショップがありました。僕がそこでこのアルバムを買って外に出ると、知り合ったばかりの大学の上級生が通りかかりました。

 

「よお!ナルちゃん!何してんの?」

 

ナルちゃんって・・・いつのまにそんなあだ名が・・・そんなわけで、僕は名前を覚えてもらうまでは「ナルちゃん」と呼ばれておりました。

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

デザイン流れ

 

当時、芸大の彫刻科の試験は「木炭による石膏像のデッサン」で、一方の私立大学(ムサビタマビ)の彫刻科の試験は「鉛筆による人物のデッサン」でした。

 

単純に言って「彫刻家になりたい」という思いが強い人間ほど芸大を目指すわけですが・・・ここである種の矛盾が生まれるのです・・・要は「彫刻を真に志す人間は鉛筆デッサンをあまりやっていない」という事なんですね。

 

そんなわけで普段から鉛筆デッサンが専業であるデザイン系から、彫刻学科に受験を切り替えてくる人が結構いたのです。通称「デザイン流れ」という人たちで、厳しい言い方をすれば「美大に入れればいい」という思いが強い人達です。

 

僕も青い頃でしたので、彫刻学科でありながら「別に彫刻家は目指していない」とか「塑像をしたことがない」という人がいたことに驚きました。そして予備校時代の仲間の事なども思い出し、かなり複雑な気持ちになりました。デザイン流れの上級生の中にはそういう事を面白おかしく言う人もいて、ハッキリ言って面白くなかったですね。

 

 

浪漫飛行

f:id:koromaro:20200426065211j:plain

この頃はプリンセスプリンセスがCD媒体で初のミリオンセラーを達成するなど、CDの普及が爆発的に進み切った時期でした。操作性がレコードに比べて圧倒的に良いので、若年層から高年層まで、この頃から音楽がとても売れるようになりました。

 

そしてアーティストの中には、過去の自信曲をリアレンジして、CDで再発するという流れが起こったのです。有名どころだと前出のプリンセスプリンセスの「世界でいちばん熱い夏」や爆風スランプの「大きな玉ねぎの下で」などなど・・・なんだか実にセコイですよね。

 

そんな中で、まさにその「極めつけ」という感じで発売されたのが米米CLUBの「浪漫飛行」でありました。これはJALの沖縄キャンペーンに起用されバカ売れしました。

 


米米CLUB CM 1990年 JAL 沖縄 「夏離宮」 曲 浪漫飛行

 

米米CLUBはこれで真のブレイクも果たしたわけですが・・・僕は何とも複雑な気持ちになりましたね。それはなんか「デザイン流れ」に対する思いのようなものというか・・・(しつこい)

 

 

つづく

 

 

www.koromaro.com

www.koromaro.com

 

 

TOP

 

 

スポンサーリンク