ころまろ☆辛口エンタメ塾

毒舌ネットコメンテーターのサブカル話。たまに愛。

【観月ありさ】1990-1991【伝説の少女がいた時代】

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 今日の「私が愛する芸能人」は『1990-1991年の観月ありさ』です。今もなお美しく現役バリバリの女優さんですが、成長期の観月ありささんは、この時期特有の不完全な危うさと、ナイフのように鋭い美しさを併せ持つ、本当に神がかった美少女ぶりを発揮していました。

 

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1990年の観月ありさ

 

観月さんは子役として幼年期より芸能活動を続けておりましたが、12歳時に生徒役として出演した『教師びんびん物語2』にて、その際立つ美少女ぶりが大いに注目を浴びることになりました。

その後、1990年に業界大手のライジングプロダクションに移籍し、雑誌やコマーシャルの世界で大いに存在感を示していく事となりました。

 

オリーブ

 

当時人気だった少女向け雑誌「オリーブ」のモデルとして、数多く紙面を飾りました。観月さんの小顔と抜群のプロポーションは、オリーブ少女たちの憧れの元でした。

 

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表紙に表記されている「デザイナー、作家を刺激する わたしの、イメージガール」という言葉が、あまりにも当時の観月さんそのまんまですね。

 

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村上春樹氏の世界観を特集した「ハルキ・スタイル」ではイメージモデルとなり、なかでも小説「ダンスダンスダンス」に登場する美少女「ユキ」を模した写真は、まさに「イメージにぴったり」と大評判になりました。

 

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村上春樹氏は以前

 

「ユキのモデルは後藤久美子だろうとあまりにも聞かれるので、自分でも気になって見てみたが、正直、あまりピンとこなかった」

 

と答えているのですが・・・そんな村上氏が観月さんのイメージフォトを見てどう思うのか聞いてみたいものですね。

 

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ヒロミチナカノ

 

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当時売れっ子だったファッションデザイナーのヒロミチナカノ氏が彼女に着目し、13才という幼い年齢でありながらファッションショーに彼女を起用します。

 

「最初にショーに出た時から、パッと人の心を惹き付けてしまった。凄い天賦の才がある子だなと思いました。全てのバランス感覚がいいんじゃないかな」

 

その様子は「ファッション通信」でも報じられ、ファッション業界の中枢においても観月は自らの存在感を示しました。

 

 

レナウン「スコレ」

 

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伝統的にオシャレかつ尖ったCMが多かったレナウンですが、このシリーズは『観月ありさ』という素材をもとに、美術からディレクションからコピーライティングに至るまで、まさにクリエイターのやりたい放題状態になっています。

 

 

 斬新かつクールな映像表現

 

資生堂ヘアメークシャンプー 

 

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当然、資生堂も観月さんを起用します。この年から始まった彼女と資生堂との関係は、その後、長きにわたることになります。

 

 


資生堂 ヘアメークシャンプー CM 観月ありさ 1990年


入口のフレームが、そのまま美少女画のフレームになるという、粋な演出のCMですね。

 

 

POPYE「無理めの女」

 

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1990年末には「オリーブ」の兄弟誌の「ポパイ」の表紙に登場。クールに決めておりますが、しかしながら14歳で無理めの女と言われても・・・本人も困っちゃいますね。

 


 こうして観月ありさの1990年は過ぎていきました。


活躍の場は雑誌&報告業界に絞られ、この年はドラマやバラエティへや音楽番組(そもそも歌手デビューしていない)の出演は一本もありませんでした。

観月ありさは翌1991年に本格的に解放されていく事になります。

 

 

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1991年の観月ありさ

 

観月さんは年明け早々、フジテレビ制作の「新春ドラマスペシャル『別れは春のささやき』」にて、「教師びんびん物語2」以来、1年半ぶりにドラマの世界に戻ってきました。そしてここから1990年には押さえていたTV番組への露出を増やしていくのです。

 

 

「もう誰も愛さない」

 

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4月からは吉田栄作さん主演の「もう誰も愛さない」に、田代弥生役で出演します。敵対する二人の姉の間で苦悩する少女という難しい役どころでしたが、見事に演じ切りました。ドラマそのものも20%越えの高視聴率を記録するヒット作となり、観月さんの一般認知度は飛躍的に上昇しました。

 

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ちなみに最後は打たれて天に召されてしまいます

 


この時期は主演の吉田さんが(様々な意味で)最も熱い時期であり、ファッションの世界が中心だった観月さんが「現場の張りつめたムードを変えなきゃな」とヘラヘラしていたら、吉田さんにセットの横で説教されたそうです。


その後に恋人役なども演じてきた二人は、今現在も関係は良好だそうで

「先日も一緒に飲みに行ったのですが、吉田さんが酔いつぶれて寝てしまったので、そのまま放置して帰ってしまいました」

との事です。

 

伝説の少女

 

 『もう誰も愛さない』がオンエア中の1991年5月15日に、観月さんはシングル『伝説の少女』で歌手デビューすることになりました。楽曲制作はシンガーソングライターの尾崎亜美さんが担当し、尾崎さんはキー合わせから最終レコーディングまで、すべてに付き添ってくれたそうです。

「尾崎さんが『歌詞の意味が解ってくれる人にしか楽曲は提供しない』と言っていたことを知っていたので、自分には作ってくれないだろうなと思っていた。だから楽曲の提供を受けた時は本当に嬉しかった」

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『伝説の少女』という直球ど真ん中のタイトルにも慄きましたが、何より心配だったのが観月さんの歌唱力ですね。美人の歌手デビューと言うと、過去には沢口靖子さんや宮沢りえさんなど・・・まあ色々アレなものがありましたから・・・

 
しかしそんな心配は杞憂に終わりました。

 

 観月さんは歌も上手かったのです!その抜群のスタイルで歌われる『伝説の少女』は、楽曲そのものの良さとも相合わさって、この時期の新人女性歌手としては異例の22万枚を売り上げるヒット曲となります。その後、彼女は音楽番組からも引っ張りだこになりました。

 

そしてスタイリストもやりたいホーダイですね。「カリメロかよ!」というような衣装を着こなすのはさすがですし、さらにはTVサイズとしては異例に長いこの曲の間奏を、アップカットだけで持たせてしまう美少女ぶりが、もはや恐れ多いくらいです。

この後、セカンドシングルは奥井香さん作曲の「エデンの都市」、サードシングルは尾崎亜美さんと再びタッグを組み「風の中で」をリリースと、この年に発表した3枚のシングルはすべてトップテンヒットとなりました。

 

年末にはデビューアルバム「ARISA」を発表。これには小室哲哉さんが初参加します。以後、観月さんは「小室プロデュースのアーティスト」という看板も背負いスマッシュヒットを連発。音楽業界でも活躍していく事になりました。

 

 キリンビバレッジ『シャッセ』

 

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『伝説の少女』はキリンビバレッジ『シャッセ』のCMソングになりました。ビールメーカーのイメージが強かったキリンが、この時に初めてソフトドリンク業界に本格参入するのですが、そこでイメージガールに起用される辺りにも、この時期の観月さんの勢いを感じます。

 

 

CMは絵画風に一コマ一コマ描き起こされたものでした。これはレナウンの「INエクスプレス」のCMや、アニメーション「木を植えた男」の影響を受けた映像表現のように思われます。

当時僕は美術大学の学生だったのですが、このCMの美しさと、その背後に思い浮かぶ制作陣の労力というものに、思わず息をのんだ記憶があります。

 

 

フジフィルム

 

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この年からフジフィルムのイメージガールにもなります。CM展開は長きにわたりましたので、観月さんのCMと言うとフジカラーというイメージが強い人が多い事かと思います。ドリカムの曲も素晴らしくマッチしてますね。

 

 

 

超少女REIKO

 

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そして時代の勢いに乗った観月さんは同年末に遂に銀幕デビューを果たします。当然主演です。

 

しかしながら、映画は記録的な不入りとなり、それが長きにわたり観月さんの映画進出の足かせになってしまったのです。

 

(この後、映画の世界に戻るには5年の歳月を要した)

 


ここまで読んで来られた方は

「こんなに順風満帆だったのに何で映画だけコケたの?」

と思われるでしょうが・・・

まあ「映画の宣伝文句」と「あらすじ」を読んでいただければ、その理由を「お察し」していただけると思います。

 

公開当時の宣伝文

主演に観月ありさ(今作品が映画デビュー作で初主演)を迎え、東宝映画期待の新鋭・大河原孝夫監督が贈る、戦慄のサイキック・ホラー・ムービー。

今作品は、大河原監督のオリジナル脚本で、第13回城戸賞・準入賞作品。映画化のために4年の歳月が費やされた。超能力や超常現象を扱ったテーマ性、ジェットコースターのようなスリル+スピード感溢れるストーリー性、そして何よりも東宝ならではの特撮シーンが随所に盛り込まれたエンターテインメイント性故に、早くから映画化が期待されていた。しかし、ただ一つの難問「REIKOを誰が演じるか?」…この答えを見つけるには、観月ありさの出現を待たねばならなかったという。

いま、愛の力がためされるとき―
すべてを破壊し尽くす闘いがはじまった、愛を信じる少女と、愛に縛られた少女の。REIKOは消えゆく意識の中で“愛の力”の意味を知った……

 

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あらすじ

文化祭を一週間後に控えた香陵学園高校で、不可解な超常現象が起き始めた。

事態を憂慮した超能力少女・九藤玲子と5人の有志達はESP研究会を結成し、日々エスカレートするポルターガイストや深夜の校舎を徘徊する“亡霊”の謎に敢然と挑む。霊媒師の祖母を持つ玲子は、降霊会を開き、亡霊の魂の呪縛を解き放とうとするのだが、もう少しというところで逆に乗り移られてしまう。ここから事態は二転三転。玲子達は、運命に導かれるまま、全てを破壊し尽くす壮絶なサイキックバトルへと巻き込まれるのであった…。

 

うーん、どうですかみなさん。

「何故フツーの青春映画にしなかったのだ!?」

と、僕が思わず憤ってしまうのも、無理からぬ話なのであります。

 


※間奏部分で映画を一部見ることが出来ます

 

しかし改めて勿体無かったと思いますね。この時期の観月さんという素材を映画という形で、きちんと永年化して欲しかったなあと心の底から感じます。それは「セーラー服と機関銃」の薬師丸ひろ子然り、「時をかける少女」の原田知世然りで・・・

 

 

 あれから30年 空前絶後の世界記録へ

 

 そんなわけで、最後にとんだカルトムービーでオチが付いてしまいましたが・・・それを差し引いても、1990-1991期の観月ありささんの活躍ぶりは素晴らしく、今もなおその魅力的な姿はこの目に焼き付いているのです。

あれから30年・・・

 

もし観月さんが来年(2021年)、連続ドラマで主演すると、それは「30年連続の連続ドラマ主演」という空前絶後の世界記録を達成することになります。

 

もちろんコロナウィルスの影響でTV業界も大変でしょうが、これは何とか達成させてあげて欲しい記録だなと個人的にも願っております。

 

biz-journal.jp




確かに時は流れました。

 

でも観月さんには、これから先もずっと我々のMUSEであり続けて欲しいものですし、きっとそうであるのだろうなと今は感じております。

 

歌手デビュー29周年の日に。心を込めて。

 

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おわり

 

 

www.koromaro.com



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