ころまろ☆昭和45年男

毒舌ネットコメンテーターのサブカル話。たまに愛。

【Youtubeで視る伝説のライブ&パフォーマンス集】その4

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僕がお勧めするアーティストのベストライブ&ベストパフォーマンスをご紹介します・・・の4です。

 

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「ルシール リトル・リチャード」1957

 


前回チャック・ベリーを紹介したのですが、同じように「ロックの創始者」として称えられるリトルリチャードが、2020年5月9日にガンで亡くなったことが公表されました。

 

「のっぽのサリー」のイメージが強い人ですが、僕の中では「ルシール」ですね。僕は学生時代、オールディーズのライブハウスで働いていたのですが、そこでこの曲が演奏されると、スタッフのみんなが何故かそれに合わせて「ドリフのエンヤーコラヤ」を踊っていたのですよ。

 

これが大ウケでありまして、そのうちお客さんもみんなで踊るようになりました。オールディーズに合わせてホール内は総ドリフ状態。まあ盛り上がってよかったですが、今思えばバンドの人たちは複雑な心境だったでしょうね。

 

志村けんが亡くなり、リトルリチャードも亡くなった季節に。30年前のあの夜の喧騒を思いだして。

 

 

「Spending all my time Perfume」2013

 

 

カンヌ国際広告祭でのPerfumeのパフォーマンスで、ステージ上のパフォーマーに直接プロジェクションマッピングするという演出です。これはその後のプチツアーも含めて大評判でした。

 

真鍋大度が担当した映像技術は、もはやハイテク過ぎて「どこが凄いのか解らないレヴェル」ですが(僕も技術展を観に行ったけどさっぱり理解できなかった)、それでもカッコいい事だけは解ります。これはクールだと。


それで曲の「Spending all my time」は、当初英語曲だったのですが、それに対してPerfumeのメンバーが強い抵抗を示し、結局一部日本語歌詞になったそうです。色々戦略もあっただろうに、そこを変えちゃうあたりも凄いですよね。


何だかそんなあたりに、このチーム(中田ヤスタカ、真鍋大度、KIMIKO、Perfume )が、長い間上手くやれている理由があるような気がします。

 

 

「愚か者よ 萩原健一」1987

 


 

 

萩原健一のオールナイトフジでの生パフォーマンスですね。これを歌と言っていいのか解りませんし、さらにはこれがオーガニック(?)のわけもないでしょうが・・・そうであるがゆえに、なかなかの中毒性のある動画です。

 

「愚か者よ」は近藤真彦との競作(近藤のバージョンは「愚か者」)です。これでレコ大の作曲賞を獲った井上尭之先生はたいそう喜んだそうです。

作詞は伊集院静が担当したのですが、ショーケンはそれにダメ出しをして、井上先生と曲を練り直したそうですね。まあ伊集院にダメ出しするのは、この世の中でこの人くらいのものでしょうね。

 

この動画。生放送でやりたい放題のショーケンもいいですが、すでにこの時点でかなりの大御所だった井上先生が、本当に楽しそうにギタープレイするのも、実に微笑ましい限りなのです(この時点で今の僕より年下だけど)。たぶん10歳年下のショーケンが好きでしょうがないのでしょうね。

 

それで思い出しましたが・・・先日車で走っていたら、とあるところに「株式会社ショーケン」というビルがあって驚きました。ほんと社長さんがショーケンのファンであることは丸解りですが、一体全体、何の会社なのかはさっぱり解りません(苦笑)。どっちが重要なんだよショーケンだろうがと。

 

「キャーキャー言われるのはジュリーの方で、俺のファンはヤローばっかりだったよ」

 

と、ショーケンは常にぼやいておりましたが、まあそれはそれで。

 

 

「ラフマニノフピアノ協奏曲第2番 辻井伸行」2013

 


Rachmaninoff: Piano Concerto no.2 op.18 Nobuyuki Tsujii blind pianist BBC proms

 

BBCプロムスに於いての辻井伸行のラフマニノフですね。イギリスでは珍しいスタンディングオベーションが沸き起こっております。

 

僕は生まれついた時くらいから、いわゆる「アウトサイダーアート」的なものに、名前からして懐疑心を抱いておりました。それに加えてパラリンピック的なものに対する過剰な賞賛というものにも、なんともいえぬ若干の違和感を抱いておりました。

 

まあその主たる思いというのは「それって逆差別なのでは?」というものだったのですが・・・そしてそれに加え、芸術や身体表現の純粋性に対する感情というものも、正直そこにはあるわけです。

 

しかしながら・・・そんな僕が、この辻井伸行の演奏を視た時に感じる感動というものは、一体何なのかという話ですね。

 

多分、これは音源だけでは決して沸き上がらないものでしょうし、だからこそそこに「芸術表現」というものの本質があるような気が今はしています。

 

 

「Invincible Muse」2010

 


 

英ロックバンドのMuseのウィンブリースタジアムのライブですね。

サッカーの聖地である「ウィンブリースタジアム」ですが、僕の世代からすると、あの「Live Aidのイギリス会場」として、強く名前が刻まれている場所です。

 

クイーンが伝説的パフォーマンスを披露した旧スタジアムは、新世紀になって間もなく「老朽化」のために取り壊されてしまいましたが、2007年のリニューアルにおいて、ここは『世界最大の屋根付き競技場』として生まれ変わりました。

 

そんなわけで新世紀世代のMuseのパフォーマンスですね。マシュー・ベラミーのギターソロがあり得ない凄さなのです。両手弾きから、ピックに持ち替えてからの~カオスパッド!

 

「もっと難しい事をやっているギタリストはいっぱいいるよ」

 

という声も上がりそうですが、ここはギタースキルと言うよりパフォーマーとしての話が重要なのです。3ピースバンドでありながら(そりゃサポートはいるけど)この大きな会場において、ここまで分厚いサウンドを響かせるのは、やっぱり大したもんだなあと思います。

 

 

「異邦人 久保田早紀」1979

 


 

夜ヒットでの久保田早紀初登場ですね。

最初はフランス人形が動き出したのかと思いました。

 

当時僕は小3で、昆虫採集と切手収集が大好きなガキンチョ真っ盛りだったわけですが、そんな9歳男子がCMでこの曲を知り、さらには福島駅前「中合デパート」の店内に流れるこの曲を、わざわざ立ち止まって聞いているお姉さんたちを発見した際に

「これはキタね!」

と、指をパチンと鳴らしてしまったわけなのですな(実話)。それは僕が『何かが時代に乗ってブレイクする』というものを、初めて目の当たりにした瞬間でした。はい。

 

「タイムマシンにお願い 福井ミカ、高中正義、Char、吉田健、村上PONTA、そうる透」1997

 


タイムマシンにおねがい


高中正義の虹伝説2LIVE at 日本武道館における「タイムマシンにお願い」です。高中とCharが共演しているのはなかなかのインパクトです。

 

そしてミカバンドのオリジナルの福井ミカがボーカルを取っているのもポイントです。カンペ見まくりですけどね(笑)。「あんたがこれを覚えていなくてどうする!」とツッコミの一つも入れたくなります。

 

そして歌うこと自体には抵抗がないわけで、彼女がミカバンドの再結成に参加しない理由は、やっぱりバンマスの加藤和彦さんとの関係だったんだと解りますね。うん。

 

「ドント・レット・ミー・ダウン ビートルズ」1969

 


The Beatles - Don't Let Me Down

 

ゲッドバックセッションのルーフトップコンサートにおける「ドント・レット・ミー・ダウン」ですね。実に近所迷惑です。

この時はビートルズがバンドとして一からやり直すことを決意し「レコーディングを撮影して復活の様子を映画にしよう。ラストは復活コンサートで〆よう」となるのですが、そのコンサートの開催場所ひとつにしても

 

「小さいライブハウス」ポール

「アフリカ」ジョン

「やっぱりやりたかない」ジョージ

「イギリスを離れたくない」リンゴ

 

と、全くまとまらない状態でした。結局やけくそになって所属レコード事務所の屋上でゲリラライブを行い、最後は警察に止められて終了することになるのですが、のちにそのライブは「ルーフトップコンサート」と命名され、ビートルズの実質最後のライブパフォーマンスとして、伝説になったのでした。

 

それでこの時録られた映像は、泥沼のレコーディングの様子とともに、のちに「レットイットビー」というタイトルで映画化されることになります。

 

ーーーー

 

僕は高校時代に「アイドルソングの応募」のために、機材のある友人の家で、徹夜でレコーディング作業をしたことがあるのですが、その際に

 

「徹夜でレコーディングと言えばレットイットビーだな」

 

と、この映画のビデオを借りて持って行ったのです。いい暇つぶしになるだろうと・・・しかしながら僕らのレコーディングは困難を極め、徹夜で泥沼化された作業の様子は

 

「何度もリテイクさせるKYな僕」=「ポール」

「それに対して切れ気味なシノブ」=「ジョージ」

「我関せずマイペースなロメオ」=「ジョン」

 

と完全に映画とシンクロしておりました。いやああれは本当に画面の中も外も泥沼だった・・・「パンツの穴」でも借りて行けばよかった(苦笑)。

 

 

「伝説の少女 観月ありさ」1991

 


 

観月ありさは1989年の12歳の時に『教師びんびん物語2』に生徒役で出演し、その際立つ美少女ぶりで大いに注目を浴びました。その際に観月は子役時代から所属していた事務所から、業界大手のプロダクションへと移籍します。

 

それで業界の掟のせいなのか何なのか・・・翌1990年の観月ありさは、ドラマやバラエティや音楽番組(そもそも歌手デビューしていない)への出演は一本もありませんでした。そんなわけで彼女の活躍の場は雑誌&報告業界に絞られたわけですが、逆にその場で、彼女は自分の価値をどんどん高めていったのです。

 

事務所移籍から2年。1991年に彼女は歌手デビューすることになりました。デビューシングルのタイトルは、ずばり「伝説の少女」です。普通に考えれば、かなりハードル高めのタイトルなのですが、彼女のルックスが神がかっていた時期でしたので、ビジュアル的な問題はありませんでした。

 

何より心配だったのは観月の歌唱力です。それまでに美人の歌手デビューと言いますと、沢口靖子や宮沢りえなど・・・まあ色々と、放送事故級のアレがありましたから・・・しかしそんな心配は杞憂に終わりました。観月は歌もそれなりに上手かったのです。それで抜群のスタイルで歌われる『伝説の少女』は、楽曲そのものの良さとも相合わさって、この時期の新人女性歌手としては異例の22万枚を売り上げるヒット曲となりました。

 

そんなわけでこの動画ですが、この「カリメロかよ!」という衣装を着こなすのはさすがですし(スタイリストやりたいホーダイ)、さらにはTVサイズとしては異例に長いこの曲の間奏を、アップカットだけで持たせてしまう美少女ぶりというものは、もはや恐れ多いくらいですね。これから29年。

 

 

「トランジスタラジオ RCサクセション」1981

 

 

1981年12月24日のRC初の武道館ライブですね。録音状態が実に薄っぺらくて、ライブの迫力が全く伝わってきませんが、それでもかなり貴重な映像だと思います。

 

♪彼女 教科書ひろげてる時
ホットなナンバー空に溶けてった.
Ah こんな気持 Ah うまく言えたことがない♪

 

というのは、日野高校時代の思い出なんでしょうね。

当時俳優の三浦友和は忌野清志郎と同級生でありました。三浦にとって清志郎は同級生でありながら憧れの存在であり、自身が俳優で大成功したのちも、清志郎の事を気にかけ、RCの福生のスタジオを訪ねていたりしたようです。

 

「腐った空気と言うのは正にこれなのかというくらいに雰囲気が淀んでいた」

 

と言うのが三浦のその時の感想でした。当時RCはヒット曲に恵まれない上に、なぜか契約面で揉めていて、一時的に干されていたのです。

 

しかしそんな三浦の耳に「RCがブレイクし始めている」という知らせが来ます。1980年頭に発売した「雨上がりの夜空に」がヒットし、そこからRCは社会現象化したのですね。そんなRCを三浦は自分と山口百恵の結婚式に招待しました。そうです。あの非公開だった「世紀の結婚式」の一角に、RCのテーブルがあったのです。

 

「結婚式にキヨシちゃんたちを呼べたのも嬉しかったし、来てくれたのも嬉しかった」

 

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翌年、今度はRC初の武道館ライブに三浦が招待されれました。三浦はその日のことを

「ステージのキヨシちゃんは天使のようだった」

と語っています。

 

つづく

 

 

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