ころまろ☆辛口エンタメ塾

毒舌ネットコメンテーターのサブカル話。たまに愛。

【Youtubeで視る伝説のライブ&パフォーマンス集】その5

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僕がお勧めするアーティストのベストライブ&ベストパフォーマンスをご紹介します・・・の5です。

 

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「案山子 さだまさし」1986

 

花王名人劇場での、さだまさしのパフォーマンスですね。当時僕は高校生でしたが・・・まあ高校生男子が「さだまさし」というのは、当時のリアルタイムではあり得なかったです。はい。そしてアラフィフの今でもカミングアウトできません。

さだまさしは僕が小学生(1979~1981)の頃にソロでブレイクしまして、「関白宣言」「親父の一番長い日」というようなヒット曲を連発していたのですね。

でも年齢的に共感などできるわけはなく、僕も「ああ、さだまさしね」くらいの感覚だったのですが、その評価が一変するのは、彼が映画音楽の主題歌に起用されるようになってからなのでした。

当時、僕が住んでいた福島市にはあまり娯楽が無く、小学生が大人びた遊びをするとするならば「郷野目のオークラボウル」でボーリングをするか、あるいは駅前で映画を鑑賞する事くらいしかなかったのですな。

そんな中で、このさだまさしは映画「二百三高地」や「長江」で主題歌を担当していたのです。僕は当時小学生でありながら中学生の不良グループについておりましたので、映画というものをその頃はよく見ていたのです。

そんなグループは将来の右翼団体的に「二百三高地」とか観るわけですよ。僕はそれに付いていって、劇場で大音量で流れるさだの歌を聴き、すっかり心を奪われてしまったというわけなのです。

それで母親に頼み込んで買ってもらったのが、さだの初のベスト盤である『昨日達…』なんですなと。

『案山子』はそのアルバムのA面の2曲目です。

この世の中に、これ以上「A面の2曲目」が似合う曲もないだろうなと、今聴いて改めて感じますね。いや、さだまさしなんて、僕はずっとあんまり聴いてないですけどね。

 

「ウィ・アー・ザ・ワールド:25 フォー・ハイチ」2010

2010年のグラミー賞授賞式の夜に行われた2010年に発生したハイチ地震の被災者支援のためのプロジェクトです。前年に亡くなった(この曲の制作者の一人である)マイケルジャクソンへの追悼の意も込められたレコーディングとなりました。

マイケルの二つのソロパートはそのまま残され、ダイアナ・ロスとのデュエットパートは、妹のジャネットが新たに録りなおしています。

当時、洋楽に詳しい友達(かつて”ジムモリソン男”と呼ばれた人物)に、「なんか前と比べて全然スターがいないねえ」と僕がぼやくと、彼に「それはお前が知らないだけだよ」と言われてしまいました。

確かにそうなんだろうなあと。こと洋楽に関しては、僕に限らず『どこかで止まっている人』が多いのではないかなと思います。そういや、ギターのオリアンティなんかも、もう懐かしの人ですね。

 

「猪木の闘魂ダイブ」2002

K1ダイナマイト2002におけるアントニオ猪木のスカイダイビングですね。国立競技場に詰めかけた9万人の頭上から猪木が舞い降りてくるという、なかなか凄い企画でした。

当日僕も会場にいましたが、この時の熱狂ぶりというのは本当に凄かったです。猪木のテーマが流れ、それが一瞬止まって会場が暗転。サーチライトが空を照らすと、漆黒の闇の中には先行パラシュート部隊が飛び交っているわけですよ。そしてその遥か彼方にヘリの姿という・・・もう会場は爆発ですね。

そしてこの「炎のファイター」という曲がやはり凄いというか・・・特に会場音源の演奏がキレキレで、サンバの狂いっぷりに気持ちも異様に盛り上がってしまうってやつですね。

ちなみにこの時の猪木は「元気ですかー!」ではなく「ばかやろー!」でした(笑)。「俺にこんな事をさせやがって」とも。そしてその上で「本当に美しい夜景で、おかげさまで最高の経験をさせてもらいました」と言うあたりがスーパースターだなあと思いました。

今の猪木は車椅子姿も多いですが、いつまでも長生きしてほしいなあと願ってますね。

 

「 BOYS&GIRLS 浜崎あゆみ 」1999

浜崎あゆみの紅白初登場ですね。緊張の為かあまり声も出ていないし、カリスマオーラも感じられないですが、彼女はここからモンスター級のスターに駆け上がっていくわけです。

といいつつ、僕はこれまで浜崎あゆみという人に全く興味のない人生を送ってきたわけです。下手に彼女のアイドル時代を知っていたせいもあるというか・・・要は「何で今さら浜崎あゆみなの?」という印象が最期まで抜けなかったのです。

ですので今回「M 愛すべき人がいて」のドラマ制作が発表された際も、『なんで松浦勝人なの?浜崎あゆみの相手はTOKIOの長瀬君じゃなかったっけ?』というくらいの認識だったのです・・・が、うっかりドラマを視て、案の定ハマってしまいましたね。そう、浜崎そのものじゃなく「M 愛すべき人がいて」にです。

これは徹底した『スチュワーデス物語オマージュ』もさることながら、主役の女の子が『浜崎あゆみ風』に「アユわあ~」というあたりには『お前さん、ひょっとしてアユをばかにしているだろう!?』的な面白さがありますし、それに何といっても、あの松浦勝人を「マックスマサ」と名付けたセンス。この時点で、これはもう大勝利確定という感じですね。鈴木おさむ恐るべしです。はい。

 

「Somebody to Love ジョージ・マイケル&クイーン」1992

 

フレディ・マーキュリー追悼コンサートに於いてのパフォーマンスですね。ジョージ・マイケルかアクセル・ローズか迷いましたがこちらにしました。

HIVという病魔に冒されたフレディはもちろん不幸でしたが、こうして多くのアーティストが追悼の思いをもってライブに参加してくれるというのは、とても素敵な事だとも感じるのです。

その一方で、マイケル・ジャクソンにしても、ホイットニーにしても、プリンスにしても、そしてこのジョージマイケル本人にしても、これだけのスターが、なんだかあまりにも寂しい死に方だったなと感じるのですよ。もちろん(スターの早い)死というものが仕方の無い事だとしても、やっぱりもう少し何かあったのではないか・・・なんてね。どうしても思ってしまいますね。

 

「微笑みがえし キャンディーズ」1978

後楽園球場での解散コンサート「ファイナル・カーニバル・フォー・フリーダム」の前日の、夜ヒット生中継の「微笑みがえし」ですね。ひな壇に座る和田アキ子とか渡辺真知子とか竹内まりやが懐かしいです…って、今も活躍している人たちですけどね(苦笑)。

キャンディーズの解散発表は本当にシュートなもので、解散の意思は本人たち以外には本当に誰も知らなかったのです。ですので伊藤蘭の「普通の女の子に戻りたい!」という有名なフレーズは「ゴッドアングル」としか言いようのないものですし、なおかつその意思をすぐに支持した親衛隊(全キャン連:石破茂も所属)の反応というのも、これもまたガチだったのです。

そしてそれを(半年後という期限付きとはいえ)事務所すら支持してしまったというところがまた、ドラマを超えた現実という凄みを体現していると思うのですね。

そんなわけで実質的なラストシングルとなった「微笑みがえし」は、キャンディーズに対するスタッフの愛が溢れた作品となりました。

作詞した阿木曜子はキャンディーズへのはなむけとして、彼女たちのヒット曲を歌詞にちりばめ、それを前向きなサッドソングという形でまとめました。

そして作曲を担当した穂口雄右はこの曲のレコーディングを「初見」という形で行い、キャンディーズに対する敬愛の念を示しました。レコーディング終了時にはスタジオに拍手が巻き起こり、メンバーのみならずスタッフも涙にくれたそうです。

以下歌詞と対応楽曲。

ーーーーーーー

『微笑みがえし』

 

春一番が掃除したての 

【春一番】

サッシの窓に埃の渦を踊らせてます
机本箱運び出された荷物の跡は畳の色が
そこだけ若いわ

お引っ越しのお祝い返しも済まないうちにまたですね

罠に掛かったウサギみたい

【罠】

嫌だわ貴方すすだらけ

可笑しくって涙が出そう

ワン ツー スリーあの三叉路で
ワン ツー スリー軽く手を振り
私達お別れなんですよ

タンスの陰で心細げに迷子になった
ハートのエースが出てきましたよ

【ハートのエースが出てこない】

おかしなものね
忘れた頃に見つかるなんて
まるで青春の思い出そのもの

お引っ越しのお祝い返しも
今度は二人別々ね

何年たっても年下の人

【年下の男の子】

嫌だわシャツで顔拭いて

可笑しくって涙か出そう

イチ 二 サン 3つ数えて
イチ 二 サン 見つめあったら
私達お別れなんですね

お引っ越しのお祝い返しは
微笑みにして届けます

やさしい悪魔と

【やさしい悪魔】

住み慣れた部屋

それでは鍵が逆さまよ

【ハート泥棒】

可笑しくって涙が出そう

アン ドゥ トロワ 3歩目からは

【アン ドゥ トロワ】

アン ドゥ トロワ それぞれの道
私達歩いて行くんですね

歩いて行くんですね

ーーーーー

キャンディーズの解散コンサートのTVオンエアですが、福島では土曜日の午後に放送された記憶があります。当時は当然半ドンの時代で、えらい遠かった小学校から走って帰った思い出があります。

計算すると、あの時の僕は小2になりつつある小1(!)なのか…うーん、やはりマセてたな。

 

「My Way フランクシナトラ」1974

シナトラのMSGでのライブですね。

シナトラの生まれたニュージャージー州ホーボーケンから、マンハッタンのMSGまでは、直線距離なら僅かに2キロほどなのですが・・・そこに到達するまでに彼が辿った道のりというのは、それはそのままアメリカの歴史とシンクロするかのような、あまりにも壮大なものとなっているのです。はい。

 

僕が子供の頃は「マイウェイおやじ」なる人がいっぱいおりました。要は「My Way」がカラオケの十八番のおじさんたちです。彼等はお正月だろうが法事だろうが温泉の休憩室だろうが、隙さえあれば自己陶酔してこの歌を歌うのです。うん。そしてそれは当然僕がカラオケ嫌いになった一因でもあるのです。

 

それで思い出しましたが、かつて「なんでんかんでん」というラーメン店がブレイクしていたときに、そこの怪しげな社長がTVでなぜか「My Way」を歌っていたのです。僕はそれを視て「なんて胡散臭いやつなんだ。こんなラーメン屋には絶対行かないぞ」と強く思ったものです。はい。

そしてそんなことはすっかり忘れて四半世紀。

なんとその怪しい社長がバラエティ番組の「しくじり先生」に出ていたのです。そしてそこで語られる、あまりにもクズい「しくじりエピソード」を聞いて、僕は「ああ、若き日の俺の目には間違いがなかった」と安心したものでした。はい。

 

「ロンリーバタフライ レベッカ」1986

早稲田祭のレベッカライブですね。90年代の序盤くらいまでは大学の学園祭ライブというものがかなり影響力を持っていたものでした。山下久美子や白井貴子などが「学園祭の女王」として注目を浴びブレイクをしていきましたし、SONY系のミュージシャンたちも、その文化をうまく利用していたような気がします。

これはまあ学園祭というよりは、大学や大学生の影響力と言った方が良いのかもしれませんね。良くも悪くも『若者の定義』というものが、めちゃくちゃ広く薄くなってしまった現代と違い、あの頃の若者(大学生)はメディアにも積極的に登場し、自分自身の言葉で意見を語れていたように感じます。

そしてその影響力が極端に落ちた出来事というのは、1997年の早稲田祭中止騒動と、その翌年のスーパーフリー事件だったように思っています。早稲田祭の中止騒動に関しては、忌野清志郎がそれに反対したゲリラライブを行う予定だったのですが、大学側との話し合いに応じ、その言い分に納得してライブを取りやめたのです。その時は「???」と、一瞬思いましたが、裏ではきな臭いことがいっぱいあったのでしょうね。

 

 「マン・イン・ザ・ミラー ウィルスミスファミリー他」2009

オバマ大統領のノーベル賞受賞記念ライブでの「マン・イン・ザ・ミラー」。マイケル・ジャクソンの代表曲の一つですね。

ウィルスミスの子供たちの芸達者ぶりに驚かされますが、僕は中国人ピアニストのランランが弾くイントロの美しさに心を奪われます。こんなにシンプルなフレーズなのにこうも凄いのかと・・・本当に不思議ですね。

それでもしトランプ大統領がノーベル平和賞を受賞したとしたら(あり得ないというなかれ、これが十分あり得る話なのがノーベル平和賞の底知れなさなのであった)、誰が記念ライブをやるのだろうかと。

僕がひそかに予想しているのはサイラス・ファミリーですね(マイリー抜き)。たぶんビリー・レイ・サイラスがKFC大好きのトランプのために、ケンタッキー臭あふれる悶絶級のダサいステージを披露してくれることでしょう。うん。今から実に楽しみです(嘘)。

 

「エボニー・アンド・アイボニー ダナ・プラトー、トッド・ブリッジス、ジャネット・ジャクソン」1983


米ドラマ「アーノルド坊やは人気者」のワンシーンです。ジャネット・ジャクソンが若いですね。

 

ドラマの概要をwikipediaから引用しますと・・・

主人公の黒人少年アーノルド・ジャクソンは、母の死をきっかけに兄のウィリスと共に、母が家政婦として務めていた白人の資産家ドラモンドの養子となり、ドラモンドの娘キンバリーと共に暮らすことになる。このコメディは、ドラモンド家の中で起こるさまざまなエピソードを軸として、シリアスな人間模様をコメディー形式で描いている。コメディでありながら、麻薬や人種差別問題などシリアスなテーマを取り上げていた。

というものになります。

 

まあその後キャストは各人色々あったんですけどね…

 

『エボニー・アンド・アイボリー』はポール・マッカートニー&スティーヴィー・ワンダーが1982年に発表したシングルで、ピアノの黒鍵と白鍵を黒人と白人に見立て、人々の調和を説いた曲です。英米のみならず、この日本でもNO1ヒットを記録しました。

 

「僕がアイボリーだから、エボニーが必要だった。最適なミュージシャンは誰かと考えたんだ。スティーヴィーに直接電話したら、すぐにいい返事がもらえたよ」(ポール)

 

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