ころまろ☆辛口エンタメ塾

毒舌ネットコメンテーターのサブカル話。たまに愛。

【平成2年の今頃の話39】「ワールドカップ1990&歌舞伎町の娯楽ビル」

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※ここは常に30年前の話をするカテゴリイです。

 

さてさて僕が大学一年生だった30年前の今頃の話です。

 

 

サッカーワールドカップ1990イタリア大会

 

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話題にならないW杯

サッカーW杯のイタリア大会が行われたのが30年前のこの時期の事でした。ちょうど深夜の始発待ちの時間に、生放送とデイリーハイライトをやっておりましたので、4年周期のにわかサッカーファンの僕も熱心に見ておりました。そして今ならば日本中が「ワールドカップだ!」「サチモスだ!」などとハートビーに盛り上がるところですが、当時は全く盛り上がっておりませんでした。

日本代表

日本代表は予選落ちで出場できませんでした。それはもう仕方のない事ですが、自分でも驚くのは、この時の代表の試合というものを僕は全く覚えていないということなのです。

「1986年メキシコ大会」の予選は「木村和司の伝説のフリーキック」の時で、W杯初出場を目指し韓国に食い下がった試合を僕もはっきりと覚えています。それで「1994年アメリカ大会」は例の「ドーハの悲劇」の時ですから、これはもう忘れようがありませんよね。

しかしその間のイタリア大会の予選・・・結果を見ると北朝鮮に負けて一次予選落ちだったそうで、井原や松永や水沼や黒崎といったJリーグ黎明期の選手がメンバーに名を連ねています・・・が、うーん、マジで記憶なし。予選が行われていた1989年は例の予備校時代でしたから、典型的な負け戦に乗れなかったのかもしれないですね。

 

史上最もつまらないW杯

イタリア大会は「退屈なW杯」として名高い大会でした。当時はバックパスが反則ではありませんでしたから、1点でもリードしたチームは延々とパス回しをするわけです。さらには格上と当たったチームは最初からパス回し、強いチームは消化試合は別に引き分けでもいいのでパス回し・・・というように、ロースコアの引き分けマッチが続出したのです。この時の反省でその後、オフェンシブになるようにルール改正(バックパス禁止、勝ち点の変更など)されるようになります。

 

南米はドロドロ

記憶に残らぬ日本と違って、南米のドロドロぶりは印象深いです。まずはチリが予選のブラジル戦でインチキ行為(自傷)を働き2大会資格停止。さらにはコロンビアもU20の年齢詐称で失格という超展開。

本戦ではブラジルとアルゼンチンが直接対決をするものの、マラドーナの調子の悪いアルゼンチン(この大会グダグダの戦犯チーム)が、あからさまなロースコア試合を仕掛け、結果【マラドーナ→カニージャ】のワンプレーでアルゼンチンが勝利と、なんだかもう酷いことになっておりました。その後、基本ブラジルびいきの僕は仕方なくイングランドの応援をすることにしました。

 

フーリガンやばすぎ

そのイングランドですが、当時のフーリガンは本当にまともじゃなく、本当に「代表の試合があるたびに死人が出る」国際問題レヴェルだったのです。そこで開催地のイタリアが考えた作戦が「イングランドの試合を地中海の孤島で行う」というものでした。まるで「ロベン監獄島」ですね。

 

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そのとばっちりを食ったスペイン(シードをイングランドに取られてしまった)が批判したりしましたが、これに関しては「まあしょうがないね」というのが皆の共通認識でしたね。当時のフーリガンはそれくらい危ない集団でした。そしてこのころをピークに、フーリガンも大分おとなしくなったような気がします。もちろん良いことですけどね。

 

ガスコイン&リネカー

にわかイングランドファンになった僕は、すぐにこの2選手に魅了されました。ガスコインは典型的な悪童タイプ(その後ルーニーが継承したイメージ)のゲームメイカーで、一方のリネカーは『生涯イエローカードなし』という英国紳士タイプのストライカーでした。まさにマンガのように正反対の選手で、それゆえになかなか魅力的なチームだったのです。

 

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結局彼等は準決勝でドイツに負けるのですが、その時のガスコインの涙は本当に胸に迫るものがありました。さらにはリネカーのおかげでイングランドは(ヤバすぎるフーリガンを抱えながらも)フェアプレー賞も受賞したのです。

僕はワールドカップの後も、彼等の所属チームのトットナムホットスパーの動向を気にしたり、ビデオをみたりしておりました。ですので、そのリネカーがその後、Jリーグ発足時にグランパスに加入した際は、かなり期待したものだったのですが・・・

 

決勝

決勝は「西ドイツ対アルゼンチン」という因縁カードになりました・・・が、もともとつまらないマテウス時代のドイツですし、アルゼンチンの方はマラドーナ(不調)以外の主力が出場停止であり、試合はまさにドロドロのロースコア試合の極みという様相を呈しておりました。アルゼンチンは完全にPK戦狙いでしたね。

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僕はこれをバイト仲間とみんなで視ていたのですが、今思い出しても本当につまらない試合でしたね。結局、怪しい判定のPKでドイツが優勝し、アナウンサーは「秋のドイツ統一を祝福する優勝」などと言って一人で盛り上がっていましたが、今となってはドイツ人以外は誰も振り返りたくないワールドカップでしょうね。そんなことを言いつつ、僕は長々と振り返っているわけですが。

 

無茶な歌舞伎町生活

ここからは個人的な当時の話になります。

 

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街全体が濃厚接触

大学に入学した僕は、夜は歌舞伎町にある娯楽ビルのライブハウスで働き始めました。いざバイト初日。僕は店にたどり着くまで鬼のようなポン引きに会いました。それに対して「いやいや、これから仕事なんです」と丁寧に答える僕もなかなかのあれですが・・・その後、二日目からは一切声を掛けてこないポン引きの皆さんのプロっぷりにも驚きましたね。

その歌舞伎町は今現在、コロナ禍でさんざんやり玉に挙がっていますが、経験者としてそれもやむなしというか、バブル期だった当時は今以上に「街全体が濃厚接触地帯」というところでした。もう欲望の渦が全体に巻き上がっているというか・・・まあまともじゃありませんでしたね。

 


1990年の夜散歩 西新宿 歌舞伎町 大久保 高田馬場 新宿区 900621

 

無茶な生活時間

僕はそこで8:00pm~3:00am(始発帰り)というハードなバイトをしておりました。僕はムサビの前に住んでいましたので、バイト時間7時間+始発待ち時間2時間+通勤時間3時間半=一日にバイトに費やす時間が12時間半という暮らしですね。そして残りの11時間半で大学で丸一日授業を受けて、友人と遊んで、彼女に連絡し、食事して入浴してそれで睡眠時間をとっていたのです・・・そりゃ無茶ってもんですよね。その辺はまた後日ですね。

 

歌舞伎町の娯楽ビル

B1B2 吹き抜けのライブハウス

1F  パチンコ店

2F  スロット店

3F  ビリヤード&ダーツバー

4F  ビリヤード&カラオケボックス

5F  事務所

6F  まかない

 

僕の働いていたビルは正に娯楽の殿堂でありました。そして仕事は3:00amに終わるので、少なくとも始発まで毎日2時間は遊ばなければいけないのです(義務)。僕は仕事を始めた段階では未成年でしたが、当時は何の問題も無くその時間に飲みに行っていました。

 

豪快な居酒屋「ルパン亭」

それどころか当時僕らがよく行っていた「ルパン亭」(もうつぶれているようなのでいいよね)という大きな居酒屋は、その時間でも時には中学生らしき人間がいたりしました。たまに警察が見回りに来るというような情報が流れますと、店の人が裏口からの中学生の逃亡を手助けしていたという・・・僕も未成年を棚に上げて面白がって見てましたけど、まあ本当に狂った時代でしたね。

それで飲みにいかない場合は4Fのビリヤード場でビリヤードをしたり、大きなテレビが置いてあるソファーのコーナーで、ライブハウスに来ていたお客さんたちと遊んでいたりしました。先輩はみんな悪カッコよく、彼女やファンの女の子がべったりついており、最初、僕はそこで完全に子ども扱いでしたが、次第にその場の空気に馴染んでいったのです。まあ馴染んだというか、染まったわけですが。

 

つづく

 

 

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