ころまろ☆辛口エンタメ塾

毒舌ネットコメンテーターのサブカル話。たまに愛。

40年前の1980年の話「初Wデートと別れの切なさ」

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さてさて、50歳記念に10年ごとを振り返っているお話の4回目ですね。今日は1980年。僕が10歳の頃の話です。

 

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1980年の主な出来事

・たのきんブーム
・百恵引退&聖子デビュー
・モスクワ五輪ボイコット騒動
・金属バット殺人事件
・ジョンレノン暗殺
・ゲームウォッチ発売

 

当時の僕は「プロレス」と「冒険」と「昆虫採集」と「東洲斎写楽」と「切手収集」と「コイン収集」と「奇麗な石」と「河合奈保子」に夢中でしたね。はい。

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しかしチャンピオンベルトを肩にかけている写真の広大感は凄い…砂利道だし…これは哲(誰だよ)の家が直接見えるんじゃなかろうか…ちなみに今はこのすべてにぎっしりと建物が立っています。はい。

 

メダル紛失事件

当時の僕は小学4年ですね。その時の担任の先生が鬼婆の性格破綻者でありまして、僕は初めて先生というものに反抗し、さらには「大人」と「女」というものの本質に触れたわけです。はい。まあそれはさておき・・・

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「モスクワ五輪」といいますと、これはもう「タカワ君の記念メダル紛失事件」を思い出しますね。僕のブルジョワの友達のタカワ君(のびたとスネ夫と出来杉の集合体のような少年)が、自慢げに持ってきた「モスクワ五輪」の金メダルが体育の授業中に無くなり、件の鬼婆が切れまくったという話です。なんかおかしいなと僕は思っていましたが、その後、鬼婆の机の引き出しの奥に、それがあるのを見つけたというやつですな。

今でもそれを公言できなかったのは悔やまれますが、まあ所詮は大人と子供なので、そうしたら僕の方が追い込まれていたでしょうね。うん。

 

プロレスに完全にはまる

もともと好きだったプロレスに完全にはまったのもこの頃でした。まず記憶に残っているのは、今は亡き「鬼軍曹」山本小鉄さんの引退試合ですね。引退のテンカウントのゴングに涙する小鉄さんの姿をみて、僕は人生で初のもらい泣きというものを経験したのです。そして思えば、この年の新日本プロレスは猪木(師匠)&藤波(弟子)&小鉄(鬼軍曹)がらみの涙ネタが多かった気がするのです。

例えば・・・

 

・足を骨折の藤波が松葉杖姿で猪木戦を直訴→猪木がその足を蹴り上げ「自分を大切にしろ!」と一括→立会人の小鉄と三人で号泣

 

・手を骨折した藤波がキース・ハートとのタイトル戦を涙の直訴→猪木が号泣して後押し→藤波勝利→解説の小鉄も号泣

 

というね・・・実況の古館さんいわく「闘う男のみに共通する執念の涙」との事なのですが、なんだか実に滅茶苦茶というか(苦笑)、そもそも「猪木は何で足を蹴るんだ?」という疑問がまずあるはずだろうに・・・・。しかしながら、実に狂っていることに、僕はこの二つの光景をみて、まるで、あの星飛雄馬並に「俺は今猛烈に感動している」となってしまい、完全にプロレスファンになってしまったのでした。

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そういやある時、あの前田日明氏がプロレスオタクに対して、「アントニオ猪木さんが大昔にかけた催眠術から、いまだに目が覚めないやつがウヨウヨいるんだよ」と評しておりましたが・・・まさにその通りでござんす。はい。

初Wデート

当時の僕は福島市郊外の小学校に通っていましたから、繁華街に対する憧れがかなり強かったのです。当時の県庁所在地の繁華街はまさに夢の空間でした。そして僕は常々「何時しか保護者抜きで行きたいな」なんて思っていたのです。

そしてそんな事を夢見ていたある日、同じクラスの親友が病気になり、繁華街の反対側の病院に長期入院することになったのでありました。

そこで僕は一人でお見舞いに行くと宣言したのです。当時の福島の小学校はとても厳しい管理教育化にあって、そこで子供だけで繁華街に行くなんて、それはもうまさに「脱北者」並みの非難にさらされるわけなのですが (実際に検問まがいの橋もあった)、前述のように当時の担任の鬼婆と折り合いが本当に悪かったので、実際に行く行かないは別として、挑発するためにあえてそういう事を公言していたのです。

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そうしたら「私たちも行きたいな」と二人の女の子が名乗りをあげてしまいました。リサとイガラシ。そうなるともう引っ込みがつかないわけで・・・もう一人の男の友達(ネモヤン:河原の写真で一緒に写っている少年)を巻き込んで、お見舞い名目の、実質的な「Wデート」と相成ったのでありました。

今にしてみると10歳の子供とかホントに子供なんですけどね。しかしながら、10歳くらいの時って、男が一番硬派で、女が一番ツンデレな時でもあるのです。子供の徘徊はあまり誉められることではないのだけれど・・・当日は良く晴れた日で、なんとか難所を突破して繁華街に着いたときの開放感や、デパート中合(2020年夏で閉館)のゴージャスさや、徒歩10キロの病院でのお見舞いを果たしたときの達成感は、これはもう格別のものがあったのであります。

そして僕はこのとき初めて「異性と遊ぶ楽しさ」と言うものを知った気がします。そして女の子と「すっぽかす」とか「抜け出す」ことの楽しさも・・・まあかわいいものですけど。

しかしその日はそれだけでは終わらなかったのです。

一緒に行った女の子のひとりが帰り道

「私そのうち転校するんだ」

なんて言いやがったのです。

でこっぱちのイガラシノブコ。
お前は僕に苦しみも教えてくれた。

あれから40年。
今頃どこかでしあわせに暮らしているだろう。
お前はいい奴だったから。

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「ペガサスの朝」 五十嵐 浩晃

長年、この曲を聴くとイガラシのことを思い出してしまうので、なんでだろうなあと思っていたのですが、歌っているのがイガラシだってのが大きかったんですね。まさに盲点というか、40年経ってようやく気が付きました。

 

しかし10歳と20歳の見た目の違いが凄すぎますね(中身の変化も凄い)。それに対して、20~40歳って、正直、あんまり外見も中身もあまり変わっていない気がするのですが・・・では50歳はどうなのでしょう?

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