ころまろ☆辛口エンタメ塾

毒舌ネットコメンテーターのサブカル話。たまに愛。

【令和2年の今頃の話その43】「夏と新兼荘とプロレス」

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さてさて、今から30年前の1990年の学生生活の振り返りですね。僕は大学の長い夏休みをハードに過ごしておりました。

 

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バブル期最後の夏

 

1990 年もこの時期になると理論上…というより、株価的にはっきりとバブル経済は崩壊していたのですが、まだまだ一般的には「平成元禄」というものを謳歌している感じでした。

僕が働いていた歌舞伎町のライブハウスの雰囲気も例外ではなく、そこのお客さんは『エステサロンをオープンさせた女性経営者(元女優)』から『来店するたびに高価なオールドパーのニューボトルを入れる、ごく普通のサラリーマン風のおじさん』に至るまで、みんながみんな実に羽振りが良かったのです。

 


バージニアスリム(VIRGINIA SLIMS) CM 1990年


僕は「長髪ポニテ&シャイ&マイケルファン」という理由(たぶん)で、彼等から「マイケル」と呼ばれ可愛がってもらいました。ほんと階段登って「バージニアスリムライトメンソール」を買ってくるだけで千円貰えたのだから、実にふざけた時代でしたね。

 

夏フェス

 

バブルの勢いで夏の野外イベントが盛り上がりを見せていた時期でもありました。今の夏フェスのはしりみたいなものです。
当時はテレビ朝日が三浦海岸で毎年イベントをやっておりまして、僕のバイト先の箱バンも、そこのステージに出演するということになったのです。「いろいろと有名人が来るらしい」という話を聞きつけ、僕らスタッフも徹夜の勤務明けに三浦海岸までついていきました。もう気分はすっかりギョーカイ関係者です。

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しかし浜につくなり僕は爆睡してしまい(徹夜で働いて炎天下ガンガン飲めば無理ないね)、今となってはどんなアイドルがそのステージにいたのか、全く思い出せないという体たらくなのです。1990年だから、たぶん田中陽子あたりかな?まあ、だったらいいや(笑)。

 

新兼荘

ジムモリソン男(バイトの同僚で二浪生。危ない魅力で実にモテる。それゆえ僕の大学の知り合いとも色々あった男)が引き継いでくれた西新宿のボロアパートに行くと、そこは僕が住んでいた部屋とは全くの別物になっていました。
床にはフローリングカーペットが敷かれ、中間照明で浮かび上がる室内には、洋楽のポスターやオシャレ系のものがバランスよく配置されていたのです。やつは「絶対にお洒落にならん部屋だと思い知らされた」と、そう謙遜しましたが、今で言う「古民家カフェ」くらいには十分に仕上がっていました
(まあとは言え、そこはやはり新兼荘ですから、電話もクーラーも無かったですが)
僕は自分が住んでいた頃の「廃屋もしくは過激派のアジト」的な部屋を思い出し、何だか感慨深い想いに駆られてしまいました。

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居候も引き継がれる

加えて驚いたのは、僕の田舎の後輩で、なおかつ新兼荘の居候だった「ヒロトムラカミ」が、その場にちゃっかり住み着いていたことでした。きゃっつめは僕が知らない間にジムモリソン男と仲良くなっていたのです。そして夏期講習時の新兼荘滞在の許可を貰っていたのですね。
僕はその図々しさに半ば感動し「多分こういうやつが芸大に受かるんだろうな」と割に素直に思いました(そしてそれはのちに現実となりました)。
それにしても新宿のアパートの2人は、まんま「傷だらけの天使」の「オサムちゃん」と「アキラ」みたいでしたね。そこに若さと生命力だけはみなぎっていると。そしてそうなると僕は「辰巳さん」だったのか…うーん、それだけは避けたいな。まだ髪も元気だしね(苦笑)。


金満プロレス「SWS」

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新興メガネメーカーの「メガネスーパー」が、60億の資金を傘にプロレス界に進出してきたのもこの時期でした。団体名はSWS(スーパーワールドスポーツ)というもので、将来的にはプロレス以外のスポーツも傘下に入れようとしていたようです。
SWSは全日本プロレスの主力選手である天龍源一郎選手を一本釣りし、その後も金の力で各団体から次々と選手を引き抜いていきました。当然、業界やファンは、半ばヒステリックに猛反発し、金満団体のSWSの人気は一度も盛り上がることなく低迷していきます。

最終的にはメガネスーパーの社長が、プロレスそのものに嫌気がさしてしまい、SWSは2年ほどで消滅してしまうのですが…今となっては、この一連の出来事には色々と考えさせられるものもあるのです。たしかにSWSは強引でしたが、業界の対応もあれで良かったのかと・・・。

 

貧乏プロレス「FMW」

団体設立資金60億円のSWSに対して「電話の回線費用の5万円」しか資金がなかったのが、あの大仁田厚が旗揚げしたFMWというプロレス団体でした。
バブル期に金欠という致命傷。当然のことながら、大仁田の団体はまともな選手を呼べず、そこは怪しげな「自称格闘家」が集う、縁日の見世物小屋的なハチャメチャな団体になっていたのですね。

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そんな大仁田を業界も半ば冷めた目で見ていたのですが・・・この団体が、金満団体SWSのアンチテーゼとして、徐々にプロレスファンの支持を集めていったのだから、本当に世の中判らないものなのです。
大仁田は次第にカリスマ的人気を持ち始め、この夏に東京汐留で行われた「ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ」での「大仁田厚VSターザン後藤」は奇跡の名勝負となり、大仁田はこの年のプロレス大賞の「MVP」と「年間最優秀試合賞」をダブルで受賞したのでした。

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僕も見ましたが、まさに「謎の感動」というより他はない異様な熱気が確かにそこにはありました。そしていくらお金と人が多くあったとしても、真の感動というものを得られるわけでは無いのだということも、その時に改めて知ったのです。

 

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